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『新修大阪市史 史料編』第17巻「近代Ⅳ経済2」を刊行...
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大阪市史史料 第88輯『御用録(上)』を刊行しました
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編纂所だより 第53号をアップしました
09/27 14:02
講演会「大坂町奉行所 与力の仕事」を開催します(10月6日)
09/19 09:30
大阪関連:新着
編纂所が調査に関わったもの
市立中央郷土関連:トップ5
大阪関連:新着5件
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
昭和40年代頃、大阪市にあった玩具(郷土玩具を除く)の組合の所在地を知りたい(大阪市立中央図書館)
『大阪市職業別電話番号簿 昭和43年7月1日現在 下』(日本電信電話公社近畿電気通信局,1968.10)
p.552-556 組合の項、p.330-337 玩具、玩具製造卸、子供乗物の項
によれば、次のものがある。
大阪府玩具問屋商業協組 南区賑町4
大阪府金属玩具工協組 生野区中川町4-118
大阪児童乗物協組 東住吉区加美柿花町6-104
大阪輸出玩具工業協組 天王寺東高津6-28
念のため大阪商工会議所図書館へ照会した所、上記以外に
大阪府玩具工業協組 東成区大今里北の町4-99
大阪大物玩具問屋協組 南区賑町4
大阪玩具人形問屋京組 同上
大阪玩具人形小売協組 浪速区西関谷町2-15
があることが判明したが、これらは50音別電話番号簿にも記載されていなかった。
(住所はすべて昭和43年時点の標示)
参考資料:『大阪市職業別電話番号簿 昭和43年7月1日現在 下』 日本電信電話公社近畿電気通信局,1968.10,
備考:『昭和43年 大阪市立中央図書館 調査相談の記録6』より作成
(2024/05/08 15:53)
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大阪の東町奉行所の所在地(大阪市立中央図書館)
『大阪市内における建碑』 (川端 直正/編 大阪市役所行政局,1960)p,42
によれば、大阪市東区大手前之町 大阪合同庁舎南庭に建碑がある。(東区は1989年2月、南区と統合され、中央区となった)
『大阪市史 第1』(大阪市参事会 大阪市参事会,1913)p,285
『東区史 第2巻』 (大阪市東区法円坂町外百五 十七箇町区会/編 大阪市東区役所,1940)p.14
によれば、戦前京橋付近にあった偕(かい)行社(現在の追手門学院)の西より谷町1丁目の東あたりと書かれている。
参考資料:当館書誌ID 大阪市内における建碑 川端 直正/編 大阪市役所行政局 1960,
参考資料:当館書誌ID 東区史 2 行政篇 大阪市東区法円坂町外百五 十七箇町区会/編 大阪市東区役所 1940,
参考資料:当館書誌ID 大阪市史 第2 大阪市参事会/編 大阪市参事会 1914,
備考:『調査相談の記録:1』大阪市立中央図書館 昭和38年刊 p,7より作成
(2024/05/08 15:50)
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昭和39年頃の大阪府下の職業訓練所について(大阪市立中央図書館)
『大阪府年鑑 昭和39年版』( 新大阪新聞社/編 新大阪新聞社,1964.6)P.236-239
『職業ハンドブック』 (労働省労働統計調査部/編 中山書店,1956.1)P.551
に、大阪府下の公共職業訓練所および職業補導所の名称、所在地、補導科目、開設時間等について記載されている。
参考資料:当館書誌ID 大阪府年鑑 昭和39年版 新大阪新聞社/編 新大阪新聞社 1964.6,
参考資料:当館書誌ID 職業ハンドブック 労働省労働統計調査部/編 中山書店 1956.1,
備考:『昭和39年 大阪市立中央図書館 調査相談の記録2』より作成
(2024/05/08 15:43)
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1932年当時、奈良市西御門町にあった大阪毎日新聞奈良支局があった場所について知りたい。できれば地図で表されているとよい。支局があった場所は、西御門町の北側で中筋町との境で、旧宮武正道宅であったとのことである。くわえて宮武家は製墨問屋だったが、当時すでに廃業していたとのこと。(奈良県立図書情報館)
結論から申しますと、当館が所蔵している住宅地図で最も古い、『ゼンリン住宅地図奈良市 ['66]』(1966年出版)p.17の近鉄奈良駅付近にあります毎日新聞奈良支局の位置は、1932年当時の奈良支局と変わらない位置であると考えられます。
『「毎日」の3世紀 : 新聞が見つめた激流130年, 別巻』p.27によりますと、奈良支局は昭和62年に開設60周年を迎え、近鉄奈良駅前にあった旧支局から近鉄新大宮駅前に移動したとのことです。
くわえて、『昭和の奈良大和路 : 入江泰吉の原風景 : 昭和20〜30年代』p.8に掲載されている、昭和33(1958)年の近鉄奈良駅前の写真には毎日新聞奈良支局と思われる建物が写っています。
なお、宮武正道氏については『宮武正道 : 追想』によりますと、製墨業「宮武春松園」の九代目とのことです。
また、「宮武春松園」は奈良市西御門町八番屋敷にあったとのことです。
さらに、『奈良の筆と墨』には大正9(1920)年に「宮武春松園」を含めた複数の製墨家が加わった大日本製墨株式会社が設立され、本社が奈良市西御門町八番屋敷に置かれ2年後に移動したとのことでした。しかし、その後、この場所に毎日新聞奈良支局が置かれたかどうかの記載はありませんでした。
参考資料:奈良市, ['66]. ゼンリン, 1966.2-. (ゼンリン住宅地図 [奈良県]), (当館請求記号 291.65-464-1966, 当館資料番号 151157733)
参考資料:「毎日」の3世紀 : 新聞が見つめた激流130年 別巻. 毎日新聞社, 2002.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003624759-00,
参考資料:入江泰吉写真 ; 入江泰吉記念奈良市写真美術館編 , 入江, 泰吉 , 奈良市写真美術館. 昭和の奈良大和路 : 入江泰吉の原風景 : 昭和20〜30年代. 光村推古書院, 2011.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I003152024-00, 9784838104512
参考資料:安彦勘吾著 , 安彦, 勘吾. 奈良の筆と墨. 奈良市, 1983.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I011174901-00,
参考資料:宮武タツエ編集 , 宮武, タツエ. 宮武正道 : 追想. 宮武タツエ, 1993.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I006667157-00,
(2024/04/11 18:07)
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【石川県出身の銭湯経営者について】 石川県から都会(大阪や東京)に出て銭湯で成功した例を知りたい。(金沢市図書館)
国立国会図書館サーチで検索し、類似のレファレンス事例を見つけた。
「東京の銭湯経営者には富山県出身の人が多いがなぜか」(富山市立図書館)
この中に『銭湯の謎』と『絵でみるニッポンの銭湯文化』が紹介されていた。
『銭湯の謎』(112181064)p.182-183「銭湯と北陸の知られざる関係」に、東京や関西の銭湯に北陸出身者が多い理由が考察されている。
『絵でみるニッポン銭湯文化』(310520085)p.52に「銭湯人のルーツ 加賀・能登」という文章が掲載されている。
インターネット検索で以下の記事が見つかった。
「東京の銭湯経営者に「北陸出身が多い」説は本当か」
【URL】https://urbanlife.tokyo/post/56838/(2023年10月18日最終閲覧)
この中で北國新聞2002年10月8日付記事より、「石川県出身の銭湯経営者は大坂で六割、京都で八割を占め、関東でも新潟に次いで石川や富山、福井の出身者が多い」という一節が紹介されている。
北國新聞 平成14年10月8日 朝刊 35面「「父祖の地」で全国大会」に同文が掲載されている。全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会の理事長の出身地は鹿島町と記載されている。
『人文地理 第50巻4号』 「石川県南加賀地方出身者の業種特化と同郷団体の変容-大阪府の公衆浴場業者を事例として-」 宮崎良美/著 に、『地理 6-1』 「石川県人と大都市の浴場業」 金崎肇/著 の概要が紹介されており、昭和初期以降、七尾市の旧崎山村において、ほぼすべての転出者が東京の浴場業者になったこと、東京都・大阪府・京都府における石川県出身者の浴場の営業地が近接している(連鎖移動している)ことが指摘されている。また、宮崎論稿によると、石川県出身者は東京都で25%を、京都で70%を、大阪で約4割を占めることが指摘されている。
朝日新聞 令和4年9月28日 朝刊 19面(石川全県・1地方)「(北陸リポート)なにわに息づく能登人気質 過酷な仕事励み独立、石川・旧鳥屋町出身者ら/石川県」に、大阪の銭湯経営者で互助会を作った中蔵吉蔵などが紹介されている。
「能登出身の銭湯経営者データベース」に、文献や神社寄進物などから収集した能登出身の銭湯経営者の名前が掲載されている。
【URL】https://www.town.nakanoto.ishikawa.jp/soshiki/shougaigakushuu/2_1/1/7429.html(2023年10月18日最終閲覧)
『加能地域史 第80号』 「中能登町出身の銭湯経営者について」 道下勝太/著 に、能登部村出身の銭湯経営者及び鳥屋地区出身の銭湯経営者の名前が掲載されている。
『鳥屋町史 現代編』(109067184)p.151-192「表彰」の項に、銭湯経営者として酒道勇太郎、中屋吉郎、角屋増太郎、宿谷太助、髙木長一、山口多作、細川吉郎、細川正二の名前が掲載されている。また、『鳥屋町史』(11903501)p.540に昭和30年の風呂屋、豆腐屋出稼数が部落ごとに掲載されている。
『崎山のれきし』(119586986)p.88「泉米松」(崎山村鵜浦出身、東京の銭湯経営者)
(2024/03/29 00:34)
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市立中央郷土関連:トップ5
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
昭和40年代頃、大阪市にあった玩具(郷土玩具を除く)の組合の所在地を知りたい(大阪市立中央図書館)
『大阪市職業別電話番号簿 昭和43年7月1日現在 下』(日本電信電話公社近畿電気通信局,1968.10)
p.552-556 組合の項、p.330-337 玩具、玩具製造卸、子供乗物の項
によれば、次のものがある。
大阪府玩具問屋商業協組 南区賑町4
大阪府金属玩具工協組 生野区中川町4-118
大阪児童乗物協組 東住吉区加美柿花町6-104
大阪輸出玩具工業協組 天王寺東高津6-28
念のため大阪商工会議所図書館へ照会した所、上記以外に
大阪府玩具工業協組 東成区大今里北の町4-99
大阪大物玩具問屋協組 南区賑町4
大阪玩具人形問屋京組 同上
大阪玩具人形小売協組 浪速区西関谷町2-15
があることが判明したが、これらは50音別電話番号簿にも記載されていなかった。
(住所はすべて昭和43年時点の標示)
参考資料:『大阪市職業別電話番号簿 昭和43年7月1日現在 下』 日本電信電話公社近畿電気通信局,1968.10,
備考:『昭和43年 大阪市立中央図書館 調査相談の記録6』より作成
(2024/05/08 15:53)
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大阪の東町奉行所の所在地(大阪市立中央図書館)
『大阪市内における建碑』 (川端 直正/編 大阪市役所行政局,1960)p,42
によれば、大阪市東区大手前之町 大阪合同庁舎南庭に建碑がある。(東区は1989年2月、南区と統合され、中央区となった)
『大阪市史 第1』(大阪市参事会 大阪市参事会,1913)p,285
『東区史 第2巻』 (大阪市東区法円坂町外百五 十七箇町区会/編 大阪市東区役所,1940)p.14
によれば、戦前京橋付近にあった偕(かい)行社(現在の追手門学院)の西より谷町1丁目の東あたりと書かれている。
参考資料:当館書誌ID 大阪市内における建碑 川端 直正/編 大阪市役所行政局 1960,
参考資料:当館書誌ID 東区史 2 行政篇 大阪市東区法円坂町外百五 十七箇町区会/編 大阪市東区役所 1940,
参考資料:当館書誌ID 大阪市史 第2 大阪市参事会/編 大阪市参事会 1914,
備考:『調査相談の記録:1』大阪市立中央図書館 昭和38年刊 p,7より作成
(2024/05/08 15:50)
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昭和40年頃の地下鉄3号線西梅田駅を中心とした時間帯別乗降人員について(大阪市立中央図書館)
当時の地下鉄各駅の時間帯別乗降人員は、毎年1回、11月に実施された「地下鉄交通量調査」によって知ることができる。
この調査結果は、大阪市総合計画局編・発行の「統計時報」「大阪市統計書」に収載・公表されているが、
時間帯別に知ることができるのは後者だけである。ただし、昭和47年版以降は、年によって、時間帯別の乗降人員が掲載されなくなっている。
昭和41年11月8日(火)実施の調査結果については
『統計時報 195号』(大阪市総合計画局企画部統計課)p.111
『大阪市統計書 55(昭和42年版) 』(大阪市総合計画局企画部統計課)p.200-201
に掲載されている。
参考資料:『統計時報 : 大阪市行政局 193~202号』 195号 1967年3月(p,111),
参考資料:『大阪市統計書 55(昭和42年版) 』大阪市総合計画局企画部統計課/編 大阪市総合計画局企画部統計課,
備考:『昭和43年 大阪市立中央図書館 調査相談の記録6』より作成
(2024/05/08 15:47)
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昭和39年頃の大阪府下の職業訓練所について(大阪市立中央図書館)
『大阪府年鑑 昭和39年版』( 新大阪新聞社/編 新大阪新聞社,1964.6)P.236-239
『職業ハンドブック』 (労働省労働統計調査部/編 中山書店,1956.1)P.551
に、大阪府下の公共職業訓練所および職業補導所の名称、所在地、補導科目、開設時間等について記載されている。
参考資料:当館書誌ID 大阪府年鑑 昭和39年版 新大阪新聞社/編 新大阪新聞社 1964.6,
参考資料:当館書誌ID 職業ハンドブック 労働省労働統計調査部/編 中山書店 1956.1,
備考:『昭和39年 大阪市立中央図書館 調査相談の記録2』より作成
(2024/05/08 15:43)
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大阪市城東区今福にある皇大神宮の「こじょろう稲荷」について知りたい。(大阪市立中央図書館)
「こじょろう稲荷」は「小女郎稲荷」と表記されます。
以下の資料に、関連する記述が見つかりました。
(1) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府全志 巻之3』 井上正雄 著 大阪府全志発行所 大正11 (インターネット公開) https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/186 (2024.3.25確認)
「第三篇 国郡市町村志 第一章 摂津国 第二節 東成郡 第二十項 鯰江町 大字今福 皇大神社」p.317(コマ番号186)に「稲荷神社はもと大和川堤の字狐山にありて、俗に小女郎稲荷と呼び、大和郡山の源九郎稲荷・和泉の葛葉稲荷と共に称せられて、其の名声に聞こえれば、一時賽者群集して、地獄橋即ち今の今福警察文暑の前なる極楽橋(墓地の通路に富み故に此の名あり)の附近は、茶店軒を連ねしという。」とあります。
(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府神社史資料』 (大阪府 編 大阪府 昭和8) (国立国会図書館内/図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1688263/1/246 (2024.3.25確認)
p.468(コマ番号246)に出典は『大阪府全志』とする「村社皇大神宮(旭区今福町)」の項があり、小女郎稲荷についての記述があります。
(3) 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 2001.7)
「城東区」のp.628「今福村」の項に皇大神宮についての記述があり、「末社稲荷神社はもと新喜多新田にあり、俗に小女郎稲荷とよばれた。」とあります。
(4) 国立国会図書館デジタルコレクション『難波大阪 郷土と史蹟』 (講談社出版研究所 編 講談社 1975) (国立国会図書館内/図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573482/1/78 (2024.3.25確認)
「城東区」のp.148(コマ番号78)に「皇大神宮」の項に「「末社稲荷神社はもと大和川堤の字狐山にあり、小女郎稲荷とよばれて、大和郡山の源九郎稲荷、泉州信太の葛の葉稲荷とともに知られ、むかしは極楽橋から参道附近には茶店が軒をつらねていたという。」とあります。
(5) 国立国会図書館デジタルコレクション『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成. 其1,2』 船越政一郎 編 浪速叢書刊行会 昭和2 (インターネット公開) https://dl.ndl.go.jp/pid/1243105/1/133 (2024.3.25確認)
「摂津名所図会大成 巻之三 浪華東部続」のp.61(通しページp.227)(コマ番号133)「小女郎祠」の項に、「志喜多新田ニあり近来霊験あらたなりとて詣人すこぶる多し社壇もつとも端麗に造立ありて美なり」とあります。
(6) 『上方 -郷土研究- 5 自第四十九号(昭和十年一月)至第六十号(昭和十年十二月)』 (上方刊行会/監修 新和出版社 1970)
第55号(昭和10年7号)
p.57-96「大阪神社総覧」のp.90に「村社皇大神宮(大阪市旭区今福町)」の項に「末社に道祖神社稲荷神社あり、稲荷神社はもと大和川堤の狐山にあり、俗に小女郎稲荷と呼び其名声に聞え、一時賽者群集にして附近は茶店軒を連ねたと云ふ」とあります。
(7) 『大阪史蹟辞典』 (三善 貞司/編 清文堂 1986.7)
p.179「皇大神宮」の項に、小女郎稲荷のついての記述があり、「もとは大和川堤の旧字狐山にあった社で、大和郡山の源九郎稲荷、泉州の葛葉稲荷と並ぶ有名な稲荷大明神であった。」とあり、『摂津名所図会大成』の記述が引用されています。
回答プロセス:1.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)、大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html)を、キーワード“小女郎稲荷”で検索するが、有用資料なし。
2.国立国会図書館デジタルコレクションで、キーワード「小女郎稲荷」で検索、資料(1)(2)(4)(6)が見つかる。
3.郷土関係のレファレンス資料を確認、資料(7)が見つかる。
4.商用データベース「JapanKnowledge」にて、キーワード“小女郎稲荷”で検索、資料(3)が見つかる。
5. 当館作成「大阪関係レファレンスチェック表」(外部非公開)を順に調査し、『浪速叢書 第16 索引』(浪速叢書刊行会 1930)を確認。「神社」の「小女郎祠」の項より資料(5)が見つかる。
6.城東区の区史、学校史、東成郡誌などを確認するも有用記述なし。
参考資料:当館書誌ID 大阪府全志 巻之3 井上 正雄/著 清文堂 1985 9784792402723 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪府神社史資料 上巻 大阪府神社庁 1986 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1 平凡社 2001.7 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 難波大阪 郷土と史蹟 牧村 史陽/編 講談社 1975 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 浪速叢書 第7 船越 政一郎/編纂校訂 浪速叢書刊行会 1927 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 上方 -郷土研究- 5 自第四十九号(昭和十年一月)至第六十号(昭和十年十二月) 上方刊行会/監修 新和出版社 1970 資料(6),
参考資料:当館書誌ID 大阪史蹟辞典 三善 貞司/編 清文堂 1986.7 9784792423414 資料(7),
(2024/03/27 00:30)
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編纂所が調査に関わったもの
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
大阪市浪速区幸町にある安政の地震津波碑の碑文全文を知りたい。(大阪市立中央図書館)
安政の地震津波とは、嘉永7年(安政元年・1854年)11月4・5日に大阪を襲った紀伊半島沖に震源をもつ推定マグニチュード8.4の大地震と、それに伴って起きた大津波のことです。
その状況を記録し、後世の人のために戒めを伝える目的で安政2年7月に、被害の甚大だった浪速区幸町五丁目大正橋の東詰に石碑が建立されました。
そこには、大地震が起きた場合には必ず津波が襲うものと心得るべきだと教訓が書かれています。
・小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号(p.91~95)
碑文の原文全文が掲載されています。
ただし、「この文章はこの石碑から直に写したものではなく、浪速区幸町三丁目居住増井健蔵氏所収の木版刷にもとづくもので、若干の異同がある。」と記述されています。
・『大正大阪風土記』訂正(大阪教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1927)
「津波の碑」の項(p.327~328)にも碑文の原文の掲載がありますが、石碑の背面と右面の碑文のみです。
また、『ヒストリア』掲載のものと、句読点やかな使いに若干の異同がありますが、こちらが石碑から直に写したものかどうかは明らかにされていません。
・浪速区役所ホームページ http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認)
「区のスポット・名所・旧跡」として「安政大津波記念」の碑が取り上げられています。
そこでは、碑に隣接して設置された記念碑に碑文の原文と共に現代語訳が記されているとした上で、現代語文を紹介しています。
2011年8月、大阪市史編纂所より、碑文に関する参考資料として以下のものが最適という情報をいただきました。
・『水都大坂を襲った津波 : 石碑は次の南海地震津波を警告している。』( 長尾 武/著・発行 改訂版 2007)
p.14~16に碑文の全文が記載されています。
参考資料:小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号 大阪歴史学会 1995.9,
参考資料:『大正大阪風土記』訂正 大阪市教育部共同研究会編 大正大阪風土記刊行会 1927,
参考資料:浪速区役所ホームページ>区内の官公署、主な施設、名所旧跡等>名所・旧跡等>区のスポット・名所・旧跡>碑>「安政大津波」の碑
http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認),
参考資料:『水都大坂を襲った津波: 石碑は次の南海地震津波を警告している。』 長尾 武著・発行 改訂版 2007.2,
寄与者:大阪市史編纂所
備考:大阪市立図書館webギャラリー「大阪の災害 ~江戸・明治期にかけて~」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme569.html (2011.3.23確認)、
小展示「幕末の大坂を襲った大地震と大津波」(平成16年12月 大阪府立中之島図書館作成)
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/63_jisin.html (2011.3.23確認)もご参照ください。
(2012/04/17 14:41)
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大阪上本町の近鉄百貨店辺りにあった「梅屋敷」についての資料はないか?(大阪市立中央図書館)
「東都亀戸の梅屋敷を模して、文化年間に造ったもの~生玉馬場の東(現在の上本町六・七丁目辺)にあり、園中に梅を植え、樹下に席を設け~秋には菊観で賑わった~。~日露開戦の一二年後には、山口銀行主の山口吉郎右衛門氏本邸となり、大正期には忘れさられてしまった。」
(「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008より)
『浪華の賑ひ』 (鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975|安政2年版の複製)26丁に”梅屋敷”についての記述がある。
その他は以下のとおり。
・『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 (船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978)p277~278
・『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 清文堂,1985|大正11年刊の復刻)p764
・『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
・『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
・徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
・『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
・『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
・『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
・『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
・『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])には「梅屋敷」の絵が収録されており、
大阪市立図書館 画像データベースで画像を提供しているほか、大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」でも同画像を紹介。
”梅屋敷”の位置と広さについては、次の資料による。
『新修大阪市史 第10巻』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市,1996.3) 歴史地図 図5 天保期の大坂三郷
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 (吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911)
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 ([吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911)
国立国会図書館ホームページの「写真の中の明治・大正 関西編」 梅屋敷には、
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、関連する近代デジタルライブラリーへのリンクあり。
大阪府立図書館に『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)が所蔵されており、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像が公開されている。
また、「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号(2008(平成20)年3月31日)本文もホームページ紀要のページで公開されている。
また、大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」では、 『浪花百景』(芳瀧画)・『浪華百景之内』(貞信(初代)画)の画像を見ることができる。
回答プロセス:『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂出版,1986.7)には記載なし。
大阪市史編纂所に助言を得る。
2010.3追加調査
1.大阪府立中之島図書館 ホームページで調査
大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.3.24確認)を調査
事項から検索 “梅屋敷”
『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
『上方』 31 p62-63 193307 新梅屋敷が中心
※『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969) 所収
『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
文献名から検索 “梅屋敷”
徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)は、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像公開を確認。
「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認)では、
名所名 梅屋敷で二つの画像を見ることができる。
2.国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認)を調査
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、代デジタルライブラリーの関連する下記タイトルへのリンクあり。
『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
貴重書画像データベースで紹介されている『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])も含め、当館所蔵あり。
3.CiNii - NII論文情報ナビゲータhttp://ci.nii.ac.jp/ (2010.3.25確認)を調査
キーワード“梅屋敷”で検索。
小笠原 弘之 , 山田 瑞穂 , 佐藤 敏江 [他] 「翻刻『梅屋敷の記--一名 このはな』 翻刻『松島紀行』」 『大阪府立図書館紀要』 (37),2008/3 が見つかる。
大阪府立図書館紀要ページで本文公開を確認。
2010.10追加
『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
事前調査事項:『葎居後集 1~3巻』(黒沢翁満著 河内屋和助 安政5.6(1858))
参考資料:『浪華の賑ひ』 鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975,
参考資料:『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978 浪速叢書刊行会 1927年刊の復刻,
参考資料:『大阪府全志 巻之2』 井上 正雄/著 清文堂,1985 ISBN 4-7924-0271-9大正11年刊の復刻,
参考資料:『新修大阪市史 第10巻』 新修大阪市史編纂委員会/編集
大阪市,1996.3,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 [吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911,
参考資料:大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme829.html (2010.3.25確認),
参考資料:「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」http://rarebooks.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008(平成20)年3月31日 http://www.library.pref.osaka.jp/lib/kiyo.html (2010.3.25確認),
参考資料:『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969 ,
参考資料:徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号1980.9(p82-87) <当館書誌ID:0000253458>,
参考資料:『京阪名所案内』 白土 幸力/編輯 博盛堂,1904,
参考資料:『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟 』 大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻,
参考資料:『大阪新繁昌記』 島本 篤平/著 島本篤平,1894.10,
参考資料:『大阪案内』 日本電報通信社大阪支局,1909,
参考資料:大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認),
参考資料:『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』国書刊行会/編 国書刊行会,1985.11,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.3.24確認)
備考:大阪市立図書館Webギャラリー「大阪名所めぐり」http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/disp_themes.cgi (2011.2.4確認)もご参照ください。
2010年3月18日から4月1日まで大阪市立図書館サイトトップ( http://www.oml.city.osaka.jp/ )で、
「梅屋敷」 (『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])をご紹介しました。
「古文書や大阪関係の地図を検索する」 http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/s_all.cgi (2010.12.17確認)で、書名 図名“写真浪花百景”で検索し、17ページをご参照ください。
山口吉郎兵衛(4代)やまぐち-きちろべえ(1883-1951) 明治-昭和時代の銀行家。
明治31年大阪第百四十八国立銀行を山口銀行(三和銀行の前身)に改組し,社長となる。陶磁器の収集家,茶道家としても知られる。大阪出身。号は滴翠。(『日本人名大辞典』(平凡社)山口吉郎兵衛(4代)の項目より抜粋)
(2011/04/23 16:54)
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石川静水という人物について知りたい。大阪で化粧業界紙の発行をしていた人らしい。(大阪市立中央図書館)
石川静水は、石川清三郎のこと。大阪化粧品商報主筆。
雑誌『あまカラ 33号』(甘辛社,1954.5)「哥沢初稽古」(p.38)に、石川静水について記述がある。
それによると、金物問屋に生まれ、隣家の南木芳太郎(なんきよしたろう:明治15(1882)年-昭和20(1945)年 昭和期の郷土史家。上方郷土研究会を創立し、大阪の近世・近代史を研究)と御津幼稚園からの竹馬の友であった。
また、石川静水の執筆したものとして下記を紹介。
1)『上方』101 「百人随筆集その2 芳チャンと上方」193905 (p.24-25)
南木芳太郎についての記事で、島之内の新屋敷を遊び場としていた事等が綴られている。
2)『上方』50 「新屋敷」193502 (p.35-38)
3)『上方』68 「宗右衛門町に涼みがあった時代」193608 (p.10-11、46-47)
4)『上方』81 「見世物と流行歌」193709 (p.57)
城崎文芸館(兵庫県) http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)には、静水撰の画帖「城崎八景」所蔵があり、あわせて紹介する。
回答プロセス:1.人物関連の参考図書を調査
下記に記載なし。
『大阪人物辞典』(清文堂出版,2000.11)
『『大阪春秋』総目次・索引集 創刊号~第100号』(大阪春秋社,2002.9) 人名の項目なし
『上方 郷土研究 別巻』(新和出版社,1971) 町人学者・俳句・新聞・出版の各項目 該当なし
『新修大阪市史 第10巻』(大阪市,1996.3) 索引 該当なし
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』( 日本図書センター,1989.10)
『大阪人物誌 正編 』(臨川書店,1974)、『大阪人物誌 続編』(臨川書店,1974)
『日本書画骨董大辞典 増訂版』(成文館書店,1935.8)
『日本紳士録 24版』(交詢社,1919.12)
2.大阪の化粧品業界の資料を調査
当館所蔵を、キーワード“大阪×出版×化粧品”で検索。
『日本の書店百年』 (青英舎,1991.7)の内容確認するが、記述なし。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベース http://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.5.10確認)
“石川静水”で検索。事項から検索 0件、文献名から検索すると、下記の4件の記事があり。
1)上方 101 百人随筆集その2 芳チャンと上方/石川静水 p24-25 193905
2)上方 50 新屋敷/石川静水 p35-38 193502
3)上方 68 宗右衛門町に涼みがあった時代/石川静水 p10-11、46-47 193608
4)上方 81 見世物と流行歌/石川静水 p57 193709
4.インターネットで調査
国立国会図書館 蔵書検索・申込システム http://opac.ndl.go.jp/ (2010.5.10確認)、
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2010.5.10確認)では情報なし。
Googleで、“石川静水”検索、城崎文芸館が同氏撰の画帖を所蔵していることが判明。
5.当館提供商用データベースで調査
下記全て“石川静水”が該当なし
e-レファレンス/ツール(日外 人物・出版情報)
聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
The SankeiArchives(産経新聞記事)
日経テレコン21(日経四紙記事)
毎日Newsパック(毎日新聞記事)
ヨミダス文書館(読売新聞記事)
6.大阪市史編纂所に照会
化粧品商報社の編集をしていた人物である。
肥田晧三氏の講演会(「中井浩水著作目録(二) 大阪芸能懇話会 平成16年6月27日)レジュメの中に、“静水”についての記載(雑誌『あまカラ33号』より抄出)があるとの情報を得た。
参考資料:『あまカラ 31~40号』(甘辛社,1954.3-12),
参考資料:『上方 郷土研究 10(上)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』101所収,
参考資料:『上方 郷土研究 5』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』50 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 6』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』68 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 7』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』81 所収,
照会先:城崎文芸館 http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.5.10確認)
備考:大阪市立図書館多機能OMLISでは、2011年4月より商用データベース「毎日Newsパック」に代えて「毎索」(マイサク)(毎日新聞記事)を提供。
(2011/04/08 20:23)
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明治36年(1903)、第五回内国勧業博覧会開催時に、親子丼が販売提供されていたか知りたい。(大阪市立中央図書館)
『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
あわせて下記の資料をご紹介した。
・『博覧会』(「実業世界太平洋」臨時増刊第1巻第五号)(博文館,1903)
山下雨花「余興と飲食物」の項目に下記の記述あり。(p.189 下段)
「鳥菊の鳥、~その鋤焼に親子丼の風味は、~」
・『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』(山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903)
「場内飲食店」の項目に、「鳥菊」あり。(p.29-30)建物の記述等あるが、親子丼の記述なし。
・『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』(山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.57)
・『第五回内国勧業博覧会場全図』(博文館,1903)
鶏肉料理 内本(図の中央あたりの上部)
・『第五回内国勧業博覧会案内記』(井上 熊次郎/編纂 考文社,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.83)
・『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
回答プロセス:1.商用データベース「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)」(事典・辞書等) を調査
キーワード“親子丼”で検索、4件の項目が見つかるが詳しい由来はなし。
キーワード“親子丼”で全文検索、22件の項目のうち、由来については下記の項目にあり。
『日本大百科全書』(小学館)【丼物】
「親子丼は、東京・中央区の玉秀という鳥料理屋で明治初期に創作したもの。」
2.参考図書を調査
・『明治・大正家庭史年表 : 1868→1925 』(河出書房新社,2000.3)
明治36年3月1日、大阪で初めて“親子丼”が売り出されるとあり。(p.300)
・『衣食住語源辞典』(東京堂出版,1996.9)
1903年7月26日『大阪毎週新聞』に“親子丼”の文字が見える、とあり。(p.59)
※『大阪毎週新聞』は所蔵せず。
事物起源・料理の歴史に関する図書も調査するが、関連の記述は見つからない。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2011.3.7確認)を調査
キーワード“親子丼”で検索、下記の図書が見つかった。
・『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)
「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
4.googleブックス http://books.google.com/ (2011.3.7確認)で調査
キーワード“親子丼”ד内国勧業博覧会”で検索、下記の図書が見つかった。
・『語源海』(東京書籍,2005.3)
料亭鳥菊の主人、内本松次郎の名あり。(p.171)
・『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)
鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97) ※利用者調査済
5.新聞データベースを調査
・商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
「朝日新聞縮刷版」メニューで調査
大阪朝日新聞の1903年7月26日から8月2日まで内国勧業博覧会の記事を確認してみるが、“親子丼”の記事はなし。
“鳥菊”で検索すると、明治18年(1885)6月13日大阪朝刊4頁に広告「鳥菊 近火御見舞御礼」などが見つかる。
親子丼についてはなし。
“親子”ד丼”で検索すると、明治17年(1884)の神戸元町の「江戸幸」の広告に
「親子上丼」「親子並丼」「親子中丼」の名称あり。
・商用データベース「ヨミダス歴史館」(読売新聞記事)
関連の記述見つからず。
6.大阪市史編纂所にお尋ね
“第五回内国勧業博覧会”の出店記録は資料としてあるだろうが、“親子丼”を販売していた等の記録はないと思われ、見聞記や新聞記事等に記述が見つかる可能性を示唆された。
7.第五回内国勧業博覧会関係資料を調査
回答記載の資料に関連する記述を確認。
8.国立国会図書館 近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2011.3.7確認)
第五回内国勧業博覧会関係で、当館の所蔵していないものを確認。
『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
事前調査事項:『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)に鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97)
参考資料:『博覧会』博文館,1903,
参考資料:『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場全図』博文館,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会案内記』井上 熊次郎/編纂 考文社,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認),
寄与者:大阪市史編纂所http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2011.3.7確認)
(2011/03/19 10:29)
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生島永太郎(いくしま えいたろう)について知りたい。明治の終わりから戦前ぐらいまでの大阪商人(久太郎町)。 甲南小学校の設立者の一人で、明治45年に大阪保誉院を作った人。父は生島嘉蔵(かぞう)。(大阪市立中央図書館)
生島永太郎は、明治7年11月生。生島家では、代々嘉蔵を襲名している模様。下記の資料をご紹介した。
1.『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)
「起源及沿革」ほかに記載あり。生島永太郎(嘉蔵)の表記が多数。
2.『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
3.『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3) 『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり。
4.『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
回答プロセス:1.当館所蔵を検索
“生島永太郎”では該当なし。
2.商用データベースで調査
商用データベース「ジャパンナレッジ」 該当なし
商用データベース「e-レファレンス/ツール」 生島嘉蔵(いくしまかぞう)はあり。
「文政4(1821)年~明治32(1899)年7月2日 江戸時代末期・明治期の商人、貿易商。貿易業に従事、唐反物を取り扱う。【掲載事典】◎「幕末維新人名事典」
永太郎の祖父にあたるのか?
3.中之島図書館「大阪文献データベース」を調査
該当無し。
4.『新修大阪市史』索引になし。
5.大阪保誉院関連の資料を調査
『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)に記載あり。
『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
6.甲南学園関係資料を調査
『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p4)。
『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p18)
7.大阪関係の人物事典を調査
『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2
大阪市商工業者資産録(商業興信所編 1902(明治35)年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月生まれとあり。職業欄は空欄。
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 明治43年刊)の復刻)に、生島嘉蔵あり。住所と所得税・電話の掲載(p20)
『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
『大阪人物辞典』 (三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11)
生島嘉蔵 文政4(1821)年 (p62) 「幕末維新人名事典」掲載と同人物
『日本人物情報大系 32 企業家編 2』(皓星社,2000.3)
生島嘉蔵のみ。
下記には記載無し。
『明治大正昭和大阪人名録 中巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 大正14年刊)の復刻
『明治大正昭和大阪人名録 下巻』(日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 昭和11年刊の復刻)
『大阪新人大観』(升谷 天惠/著 大阪新人大観編纂局,1925)
『大阪新人物誌』(夕刊大阪新聞社,1934.6)
『大阪の公人 : 付・連合区制の小史』 (山本 桃洲/著 大阪の公人刊行事務所,1916.4)
8.近代デジタルライブラリーで調査
『明治富豪譚』(大阪毎日新聞社 明治25.9)「生島嘉蔵乗車賃を二銭に限る」
『当世名士譚』(米倉領次郎,明25.10)「生島嘉蔵の質朴」
年代からして、永太郎の父のことか。
9.大阪市史編纂所におたずね
有用な情報なしとのこと。
参考資料:『社団法人大阪保誉院記念帳』大阪保誉院清算事務所,1935.7,
参考資料:『大阪府社会事業史』大阪社会福祉協議会,1958,
参考資料:『甲南学園50年史』 甲南学園50年史出版委員会/編 甲南学園,1971.3,
参考資料:『甲南学園の70年』 甲南学園史資料室委員会/編集 甲南学園,1992,
参考資料:『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2 ISBN 4-8205-5416-6,
参考資料:『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 日本図書センター,1989.10 ISBN 4-8205-2058-X,
参考資料:『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5 「大阪現代人名辞書 1」文明社/編纂 復刻 初版:文明社 大正2年刊 ISBN 4-8205-9966-6 ,
参考資料:『大阪人物辞典』 三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11 ISBN 4-7924-0499-1,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.1.23確認)
備考:商用データベース「e-レファレンス/ツール」は、2010年6月から「e-レファレンス・ライブラリー」(日外 人物・出版情報) に変更。
(2010/12/13 19:38)
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