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『新修大阪市史 史料編』第17巻「近代Ⅳ経済2」を刊行...
01/10 16:31
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12/04 17:13
大阪市史史料 第88輯『御用録(上)』を刊行しました
10/18 10:05
編纂所だより 第53号をアップしました
09/27 14:02
講演会「大坂町奉行所 与力の仕事」を開催します(10月6日)
09/19 09:30
大阪関連:新着
編纂所が調査に関わったもの
市立中央郷土関連:トップ5
大阪関連:新着5件
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
現在の大阪市福島区に、野田御坊(のだごぼう)と呼ばれる寺院があると聞くが、この寺院はなぜ野田御坊という別名があるのかわかる資料はあるか。(豊中市立図書館)
野田御坊と呼ばれる寺院は2か所あるが、利用者の求めるのは円満寺であるとのこと。下記の資料を案内した。
回答プロセス:『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名 1』(平凡社)の内容を調べる。p755「極楽寺」(真宗大谷派)および「円満寺」(浄土真宗本願寺派)にそれぞれ、享保2年(1717年)に「御坊同様に取扱われ野田御坊とも称し」「草々由緒から御坊となり、東本願寺末の野田御坊極楽寺同様野田御坊と称し」との記載があり。なお、本願寺東西分裂時に野田門徒が主に東本願寺に属したことから極楽寺は東本願寺派となったが、享保2年に西本願寺派の門徒によって円満寺が建立されたとの由緒があるとのこと。
この「御坊」についてさらに調べると、『望月仏教大辞典 第2巻 コ〜シ』(世界聖典刊行協会)p1292「ゴボウ 御坊」に、「真宗にては特に別院の称号として用いつつあり」(原文は旧字体)等の記載があり。『真宗新辞典』(法蔵館)p168「ごぼう 御坊」には、本山の別院またはこれに準ずる寺院の称とあり。
『大阪府全志 巻之2』(清文堂)p1207-1208「極楽寺」の項には同寺の縁起が詳しく、p1208には享保3年の冬に御坊地に取立てられ、本尊御影・仏具等を授与されて難波別院の支院としたとの記載があり。p1209「圓満寺」には御坊に関する記載はないが、極楽寺と同様の御斎相伴に預かる御頭講中が存在する等の記載はあり。
このほか、『大阪史蹟辞典』(清文堂)p68「円満寺 えんまんじ」およびp194「極楽寺 ごくらくじ」には、御坊に関する記載はないが、両寺の設立の由来が読みやすくまとめられている。
(2024/11/21 14:20)
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1954年に創設された大阪府建築士会が主催する「大阪建築コンクール」について、大阪府建築士会のホームページで第56回(平成22年度)以降の受賞作品を閲覧できますが、それ以前の第1回から第55回までの受賞作品を知りたいです。(大阪市立中央図書館)
お尋ねの件について、関連する記述がある資料を以下にご紹介します。
(1) 『人・おおさか・建築40年 -社団法人大阪府建築士会創立40周年記念誌-』([大阪府建築士会]創立40周年記念誌編集委員会/[編] 大阪府建築士会 1992.5)
「PRIZES コンクール受賞作品集 大阪建築コンクール」の項のp.102-129に第1回から第38回の受賞作品の白黒写真が掲載されており、p.130-140「表彰作品、審査委員等リスト」に、第1回から第38回の表彰作品、設計者名等の記載があります。
(2) 『[大阪府建築士会]20年の歩み -大阪府建築士会創立20周年記念誌-』 (大阪府建築士会/編 大阪府建築士会 1973)
p.63-82「Ⅴ.大阪府建築コンクール表彰作品集」に、第1回から第19回の受賞作品が掲載されています。
賞の名称が「大阪府建築コンクール」となっていますが、受賞作品は上記資料(1)掲載の各回受賞作品と一致しており、「大阪建築コンクール」のことと考えられます。ただし、「大阪建築コンクール」と「大阪府建築コンクール」の名称の違いに関する記述は見つかりませんでした。
(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『ひろば(1)』(大阪府建築士会 1964-05) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1767765/1/13 (2024.7.31確認)
p.1-8(コマ番号11-14)「特集/大阪府建築コンクールをめぐって」の項のp.5(コマ番号13)に、「10年の歴史をふりかえる」として、第1回から第9回の受賞作品が掲載されています。
上記資料に掲載がなかった第39回から第55回について、以下の雑誌に入賞作品発表の記事が掲載されています。
(4) HIROBA 1993年6月 / 350号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1993.6 p.56-57「第39回大阪建築コンクール表彰作品発表」
(5) HIROBA 1994年6月 / 362号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1994.6 p.48-51「第40回大阪建築コンクール発表」
(6) 『HIROBA 1995年7月 / 375号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1995.7)
p.44-47「第41回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(7) 『HIROBA 1996年7月 / 387号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1996.7)
p.76-79「第42回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(8) 『HIROBA 1997年6月 / 398号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1997.6)
p.50-54「第43回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(9) 『HIROBA 1998年6月 / 410号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1998.6)
p.38-42「第44回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(10) 『HIROBA 1999年6月 / 422号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1999.6)
p.36-39「第45回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(11) 『HIROBA 2000年6月 / 434号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2000.6)
p.36-39「第46回大阪建築コンクール入賞発表」
(12) 『HIROBA 2001年6月 / 446号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2001.06)
p.44-47「第47回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(13) 『HIROBA 2002年6月 / 458号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2002.06)
p.30-32「第48回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(14) 『HIROBA 2003年6月 / 470号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2003.06)
p.35-39「第49回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(15) 『HIROBA 2004年6月 / 482号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2004.06)
p.31-34「第50回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(16) 『HIROBA 2005年6月 / 494号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2005.06)
p.22-25「第51回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(17) 『建築人 2006年 / 1-12号』 (大阪府建築士会 2006)
6月号 p.18-21「第52回大阪建築コンクール入賞発表」
(18) 『建築人 2007年 / 13-24号』 (大阪府建築士会 2007)
6月号 p.18-21「第53回大阪建築コンクール入賞発表」
(19) 『建築人 2008年 / 25-27;526-534号』 (大阪府建築士会 2008)
6月号 p.22-25「第54回大阪建築コンクール入賞発表」
(20) 『建築人 2009年 / 535-546号』 (大阪府建築士会 2009)
6月号 p.26-31「第55回大阪建築コンクール入賞発表」
回答プロセス:1.「大阪府建築士会ホームページ:建築士の皆様へ:大阪建築コンクール」( https://www.aba-osakafu.or.jp/architects/award67.html )に掲載されている受賞作は第56回(平成22年2010年)から第63回(平成30年2018年)までであることを確認。
2.当館所蔵検索をフリーワード“大阪府建築士会”で検索、資料(1)、(2)が見つかる。
3.社団法人大阪府建築士会「建築雑誌記事検索サービス」( http://sub.aba-osakafu.or.jp/refer/ref.html )で“大阪建築コンクール”を検索、ヒットした記事を確認するが、該当の回に関する資料は見つからず。
4. 商用データベース「朝日新聞クロスサーチ」、「産経新聞データベース」、「日経テレコン」、「毎索」、「ヨミダス」、「MagazinePlus」を検索、該当の回についての資料は見つからず。
5. 「CiNii Research」をキーワード“大阪建築コンクール”で検索、該当の回に関する資料は見つからず。
6. 「国立国会図書館サーチ」をキーワード”大阪建築コンクール”で検索、資料(3)が見つかる。
7. 「Googleブックス」をキーワード“建築コンクール”ד大阪府建築士会”で検索、受賞作品についての記載見つからず。
8. 大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )を建築コンクール”で検索、該当の回についての資料は見つからず。
9.当館所蔵検索をフリーワード“大阪府建築士会”で検索。ヒットした雑誌『建築人』(大阪府建築士会)を確認。資料(17)~(20)が見つかる。
10.『建築人』の2006年1月号(創刊号)冒頭に、機関紙『HIROBA』の廃刊を受けて創刊した旨の記述が見つかる。雑誌『HIROBA』(近畿建築士会協議会)を確認。資料(4)~(16)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 人・おおさか・建築40年 -社団法人大阪府建築士会創立40周年記念誌- [大阪府建築士会]創立40周年記念誌編集委員会/[編] 大阪府建築士会 1992.5 資料(1),
参考資料:当館書誌ID [大阪府建築士会]20年の歩み -大阪府建築士会創立20周年記念誌- 大阪府建築士会/編 大阪府建築士会 1973 資料(2),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1993年6月 / 350号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1993.6 資料(4),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1994年6月 / 362号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1994.6 資料(5),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1995年7月 / 375号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1995.7 資料(6),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1996年7月 / 387号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1996.7 資料(7),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1997年6月 / 398号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1997.6 資料(8),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1998年6月 / 410号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1998.6 資料(9),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1999年6月 / 422号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1999.6 資料(10),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2000年6月 / 434号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2000.6 資料(11),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2001年6月 / 446号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2001.06 資料(12),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2002年6月 / 458号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2002.06 資料(13),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2003年6月 / 470号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2003.06 資料(14),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2004年6月 / 482号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2004.06 資料(15),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2005年6月 / 494号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2005.06 資料(16),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] 建築人 2006年 / 1-12号 大阪府建築士会 2006.00 資料(17),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] 建築人 2007年 / 13-24号 大阪府建築士会 2007.00 資料(18),
参考資料:当館書誌ID [製本] 建築人 2008年 / 25-27;526-534号 大阪府建築士会 2008.00 資料(19),
参考資料:当館書誌ID [製本] 建築人 2009年 / 535-546号 大阪府建築士会 2009.00 資料(20),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『ひろば(1)』(大阪府建築士会 1964-05) https://dl.ndl.go.jp/pid/1767765/1/11 (2024.7.31確認) 資料(3),
(2024/11/18 00:30)
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大阪市電の「花電車」の運行について知りたい。三宝の駅から浪速区まで走っていたらしい。(大阪市立中央図書館)
花電車が確かに三宝から浪速区までを走っていたことを明示する資料は見つかりませんでしたが、三宝駅付近で撮影された花電車の写真が掲載された資料(1)は見つかりました。
また、花電車ではありませんが、当時の路線として、路面電車が浪速区芦原橋と三宝車庫前をむすぶ経路を走っていたことが資料(2)によりわかりました。
(1) 『なにわの市電(トンボブックス)』(小林 庄三/著 トンボ出版 2013.2)
「大阪市電アラカルト」のp.78-85に「2.戦後の花(装飾)電車」の項があり、昭和20年代から30年代の花電車の写真が掲載されています。そのうち、p.82上段に「大阪祭花電車. 堺市三宝付近にて. 昭.34.10.5」と題した写真が掲載されています。
(2) 『大阪市交通局百年史 本編』(大阪市交通局/編集 大阪市交通局 2005.4)
「第2章 路面電車 第1節 路面電車事業の変遷 1.昭和前期までのあゆみ」
p.137-138「(5) 阪堺線統合と路線再編成」の項のp.137に昭和20年の空襲による被害についての記述があり、「車庫は、7か所のうち全焼を免れたのは三宝車庫だけで」とあります。
p.138の「表2-1-6 阪堺線(三宝線)開業状況」に「起点:芦原橋」「経過地:三宝車庫前」「終点:湊ノ浜」「開業:昭19.4.1」等の記述があります。
「同章 同節 2.戦後のあゆみ」のp.139-143「(1)戦災復興と新線建設」の項のp.141「図2-1-2 市電路線別開通図」に昭和19年4月1日開通路線の駅として「三宝車庫」等が確認できます。
p.146-149「(3)65年の歴史を閉じる」の項のp.148「表2-1-15 路線廃止状況」に、「廃止:[昭]43.10.1」「起点:芦原橋」「経過地:三宝車庫前」「終点:出島」等の記載があり、「戦後(昭20~25)の廃止路線」として出島の先に「昭20.3.13 湊ノ浜」が記載されています。
p.149の「図2-1-3 市電路線別廃止図」に昭和43年10月1日廃止路線の駅として「三宝車庫」等が確認できます。
「同章 第2節 運輸と設備 2.設備」のp.165-167「(3)車庫と車両工場」の項のp.165「表2-2-10 市電車庫の変遷」に「車庫名:三宝」「竣工・開設:[昭]19.4.1」「廃止:[昭]43.10.1」等の記述があります。
以下、大阪市電の花電車に関連する資料です。
(3) 『大阪市電 -路面電車66年の記録-』(大阪市電編集委員会/編 鉄道史資料保存会 1980.9)
「Ⅰ.歴史編」のp.44-53「花電車」の項に、明治38年5月から昭和44年3月までの花電車の運行についての解説、及び、運行日順に祝典・祭事名を添えた写真が掲載されています。
(4) 『大阪市交通局七十五年史』(大阪市交通局/[編] 大阪市交通局 1980)
「本編 第2章 路面電車 第3節 設備 3 車両」のp.120に「(4)花電車」の項があり、「国家的な慶祝行事、そのほか大阪市の記念行事の都度奉祝または記念として、アトラクション用の花電車が戦前、戦後を通じて何回となく運行された。」とあります。p.121に「表2-3-14 花電車運行記録表」があり、明治38年5月から昭和44年3月までの運行について記載されています。
(5) 『市電 -市民とともに65年-』(大阪市交通局総務部総務課/編集 大阪市交通局 1969)
「試練に立つ」のp.46「花電車」の項に、花電車に関する記載があり、作家・田辺聖子の文章が掲載されています。p.47-48「花電車のいろいろ」の項に、花電車の写真が複数掲載されています。
(6) 国立国会図書館デジタルコレクション『マツダ新報 4(6)』(東京芝浦電気 1917-06) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1582945/1/17 (2024.9.14確認)
p.29(コマ番号17)「十四 大阪市電祝賀花電車」の項に、大阪市電の第三期線完成の際の祝賀の花電車について記述があり、費用や乗務員の服装、花電車の装飾、電球の数などが紹介されています。
(7) 大阪市立図書館デジタルアーカイブ
簡易検索画面にて「花電車」で検索すると、絵葉書が複数閲覧できます。
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/ (2024.9.11確認)
回答プロセス:1.当館所蔵検索をフリーワード“大阪市電+大阪市交通局”で検索、資料(1)-(5)が見つかる。
2.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)で“大阪市電”と検索、有用情報なし。
3.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )を“花電車+三宝”で検索、有用情報なし。
4.「国立国会図書館デジタルコレクション」を“大阪”ד花電車”で検索、資料(6)が見つかる。
5.「Googleブックス」で“花電車”ד三宝”で検索。有用情報なし。
6.「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」を“花電車”で検索。(資料(7))
参考資料:当館書誌ID 大阪市電 -路面電車66年の記録- 大阪市電編集委員会/編 鉄道史資料保存会 1980.9 4-88540-029-5 資料(3),
参考資料:当館書誌ID なにわの市電(トンボブックス) 小林 庄三/著 トンボ出版 2013.2 978-4-88716-204-4 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪市交通局七十五年史 大阪市交通局/[編] 大阪市交通局 1980 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 市電 -市民とともに65年- 大阪市交通局総務部総務課/編集 大阪市交通局 1969 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 大阪市交通局百年史 本編 大阪市交通局/編集 大阪市交通局 2005.4 9784990172411 資料(2),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/ (2024.9.11確認) 資料(7),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『マツダ新報 4(6)』 東京芝浦電気 1917-06 (国立国会図書館内/図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/1582945/1/17 (2024.9.14確認) 資料(6),
(2024/11/18 00:30)
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明治時代に活躍した画家で大阪市に在籍した松井映雪(四条派)ついて作品、本名、生没年月日等を知りたい。(大阪市立中央図書館)
お尋ねの件につき、関連記述のある資料をご紹介いたします。なお、没年については、記載資料が見つかりませんでした。
(1) 『日本人物情報大系 62 書画編 2』(芳賀 登/[ほか]編集 皓星社 2001.1)
p.191-409に『帝国絵画名鑑 現代之部』(帝国絵画協会編集部 1912年)が収録されています。p.397(『帝国絵画名鑑 現代之部』のページ付はp.789)に「映雪 松井種吉」の項があり、肖像と作品の白黒写真とともに、落款、本名、生年等の記載があります。
以下の資料には、松井映雪が出品した作品名の記載があります。
(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『第四回内国勧業博覧会出品部類目録 第2部 美術之部』(第四回内国勧業博覧会事務局 明28)(インターネット公開(保護期間満了)
https://dl.ndl.go.jp/pid/801936/1/14 (2024.1.26確認)
「大阪府 第二部 十八類」p.20(コマ番号 14)上段に「柳ニ五位鷺 同(補記:東区)南本町一丁目 松井暎雪」と記載があります。
回答プロセス:1.レファレンス室に配架されている大阪関係の人物辞典を確認。
2.国立国会図書館デジタルコレクションをキーワード“松井映雪”で検索。資料(2)が見つかる。
3.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
4.「大阪春秋総目次・索引集」( http://osaka-web-museum.na.coocan.jp/index-top-shunjyu.htm )の「人名篇」を確認。“松井映雪”の項なし。
5.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
6.「Googleブックス」を“松井映雪”で検索。資料(1)が見つかる。
7.商用データベース「JapanKnowledge」を見出し・全文それぞれで“松井映雪”で検索。ヒットせず。
8.商用データベース「朝日新聞クロスサーチ」の「人物データベース」を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
9.商用データベース「日外レファレンス・コレクション(人物レファレンス事典plus)」を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
10.「ジャパンサーチ」を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
参考資料:当館書誌ID 日本人物情報大系 62 書画編 2 芳賀 登/[ほか]編集 皓星社 2001.1 資料(1),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『第四回内国勧業博覧会出品部類目録 第2部 美術之部』(第四回内国勧業博覧会事務局 明28)(インターネット公開(保護期間満了) https://dl.ndl.go.jp/pid/801936/1/14 (2024.11.5確認) 資料(2),
(2024/11/12 00:30)
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第二次世界大戦期に存在した、大阪市立安治川女子工業学校について、記述されている資料はないか。(大阪市立中央図書館)
お尋ねの件について、関連する記述のある資料を以下にご紹介します。
(1) 『新修大阪市史 第7巻 近代 3』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.3)
「第四章 文化と教育 第三節 戦時下の教育 2 戦局の悪化と学校教育」p.1008-1010「女子商業学校の増設」の項のp.1008に「昭和十九年四月、大阪市では家政女学校を転換統合して(中略)このとき安治川女子工業学校が新設された。同校は、安治川国民学校を廃して、その校舎を充当して設置されたが、高等科卒を入学資格とする二年制の女子工業課程で、(中略)高等科卒を入学資格とする昼間課程で始めての大阪市立中等学校であった。」と記載があります。
(2) 『消えたわが母校 -なにわの学校物語-』(赤塚 康雄/著 柘植書房 1995.5)
「第六章 大阪西部から湾岸へ」のp.242-245「安治川小学校」の項のp.245に「昭和十九年四月、安治川女子工業学校開設 二十年六月一日の空襲で校舎全焼」という見出しがあり、設置から廃止までの経過について記載があります。
(3) 『日本の女性と産業教育 -近代産業社会における女性の役割-』(三好 信浩/著 東信堂 2000.6)
「第六章 世界の中の女子産業教育 3 世界大戦の及ぼした影響 4 農業学校と工業学校の拡張状況」のp.244に「大阪市立安治川女子工業学校は、大阪市立の九校の女子商業学校の設置申請と同時に一校だけ工業学校としての申請がなされ、一九四四(昭和一九)年三月に認可されている。」とあり、続いて「大阪市長の申請書」の記載が引用されており、各学科の定員についても記載があります。
(4) 『軍需産業と女性労働 -第二次世界大戦下の日米比較-』(佐藤 千登勢/著 彩流社 2003.3)
「第三部 第二次世界大戦期の航空機産業における労務管理政策と女性労働者 第四章 航空機産業における女性の賃金と職業訓練 第二節 職業訓練 (2)政府による職業訓練 -熟練の形成からの排除- 2 日本」のp.217に「大阪の安治川女子工業学校(中略)などが一九四四年から翌年の終戦までの短い間に創立され、軍需産業において女性指導者を養成することを目指した。」と記載があります。
(5) 『大阪市立本田小学校創立100周年記念誌』(大阪市立本田小学校/編 大阪市立本田小学校 1976.2)
「Ⅰ 本田100年」の中のp.44「安治川小学校」の項に簡単な解説があり、「昭和19年3月31日廃校となり、(中略)校舎はそのまま、安治川女子工業学校となった。昭和20年6月1日の空襲により爆破され、現在は大阪倉庫となっている。」と記載があります。
(6) 『大阪市立泉尾工業高等学校創立90周年記念誌』(大阪市立泉尾工業高等学校記念誌編集委員会/編集 大阪市立泉尾工業高等学校 2012.10)
「泉尾工業の歩み」のp.18「泉尾工業の系譜」の図中に「市立安治川女子工業学校」の記載があり、「1947(昭和22)年廃止にともない[補記:市立泉尾工業学校へ]学籍事務を引継ぐ」とあります。
(7) 『学校名簿一覧』(大阪市教育部学務課学事係/編 大阪市教育部学務課学事係 1946-1947)
「大阪市立中等学校一覧 昭21.4.1」の表(頁付なし)の一番最後に「女子工業学校」の項目があり、「安治川」の行には、校長名「渋川五郎」、備考「泉尾東校内 22.3末廃止」と記載があります。
(8) 国立国会図書館デジタルコレクション『官報 1944年04月11日』(大蔵省印刷局 日本マイクロ写真 昭和19年) (インターネット公開(保護期間満了))
https://dl.ndl.go.jp/pid/2961672/1/3 (2024.4.26確認)
p.205(コマ番号3) 「文部省告示第四百五十九号」に学校認可について記載があり、「大阪市立安治川女子工業学校」の設置について記載があります。
(9) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府産業教育七十周年記念誌』(大阪府産業教育七十周年記念会実行委員/ 編 大阪府産業教育七十周年記念会 1956)(国立国会図書館内/図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9543539/1/15 (2024.4.26確認)
p.9-11(コマ番号14-15)「第三項 廃校となった産業諸学校」のp.11(コマ番号15)に、「大阪市立安治川女子工業学校 (創立)昭和十九年 (内容)実業学校令による二ヶ年制 機械製図・精密機械・工業化学科 (廃校)昭和廿ニ年」と記載があります。
回答プロセス:1. 当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)を“安治川女子工業学校”で検索。
2.プロセス1で見つかった資料(1)『新修大阪市史 第7巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集大阪市 1994.3』を確認。
3.「国立国会図書館サーチ」を“安治川女子工業学校”で検索。有用資料見つからず。
4.「国立国会図書館デジタルコレクション」を“安治川女子工業”で検索。資料(8)(9)が見つかる。
5.「CiNii Resarch」を“安治川女子工業”で検索。有用資料見つからず。
6.「Google Scholar」を“安治川女子工業学校”で検索。有用資料見つからず。
7.「Googleブックス」を“安治川女子工業学校”で検索。資料(3)(4)が見つかる。
8.当館所蔵検索を件名“小学校 大阪市”×分類“376”で検索。資料(2)が見つかる。
9.『西区史』第1~3巻(西区史刊行委員会/[編] 清文堂出版 1979)を確認。“安治川女子工業学校”が存在していた時期より前である初版昭和18年刊のため、関連する記載なし。
10.「大阪春秋総目次・索引集」( http://osaka-web-museum.na.coocan.jp/index-top-shunjyu.htm )に“安治川女子工業学校”の項があるか確認。該当の項目なし。
11.『大阪編年史 第27巻 索引』(大阪市立中央図書館市史編集室/編集 大阪市立中央図書館 1979.3)に“安治川女子工業学校”の項があるか確認。該当の項目なし。
12.『大阪市立諸学校の変遷表』(大阪市教育研究所/編 大阪市教育研究所 1967.3)を確認。関連する記載なし。
13.資料(7)『学校名簿一覧』の関連する記載を確認。
14.「Google」を“安治川女子工業学校”で検索。関連する学校の「Wikipedia」ページが見つかる。
15.プロセス14で見つかった「Wikipedia:大阪府立泉尾工業高等学校」のページの「旧制大阪市立安治川女子工業学校の学校事務を継承する形になった。」という記述から、現大阪府立泉尾工業高等学校の学校誌を確認。資料(6)が見つかる。
16.プロセス14で見つかった「Wikipedia:大阪市立本田小学校」のページの「太平洋戦争の戦時体制により校舎を安治川女子工業学校(1944年設置、戦後廃校)に転用」という記述から、大阪市立本殿小学校の学校誌を確認。資料(5)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 新修大阪市史 第7巻 近代 3 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.3 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 消えたわが母校 -なにわの学校物語- 赤塚 康雄/著 柘植書房 1995.5 9784806803645 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 日本の女性と産業教育 -近代産業社会における女性の役割- 三好 信浩/著 東信堂 2000.6 9784887133556 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 軍需産業と女性労働 -第二次世界大戦下の日米比較- 佐藤 千登勢/著 彩流社 2003.3 9784882028017 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 大阪市立本田小学校創立100周年記念誌 大阪市立本田小学校/編 大阪市立本田小学校 1976.2 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 大阪市立泉尾工業高等学校創立90周年記念誌 大阪市立泉尾工業高等学校記念誌編集委員会/編集 大阪市立泉尾工業高等学校 2012.10 資料(6),
参考資料:当館書誌ID 学校名簿一覧 大阪市教育部学務課学事係/[編] 大阪市教育部学務課学事係 [1946-1947] 資料(7),
参考資料:当館書誌ID 大阪府産業教育七十周年記念誌 大阪府産業教育七十周年記念会実行委員会/編 大阪府産業教育七十周年記念会実行委員会 1956.6 資料(9),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『官報 1944年04月11日』 大蔵省印刷局 日本マイクロ写真 昭和19年 (インターネット公開(保護期間満了) https://dl.ndl.go.jp/pid/2961672/1/3 (2024.8.6確認) 資料(8),
(2024/11/01 00:30)
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レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
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1954年に創設された大阪府建築士会が主催する「大阪建築コンクール」について、大阪府建築士会のホームページで第56回(平成22年度)以降の受賞作品を閲覧できますが、それ以前の第1回から第55回までの受賞作品を知りたいです。(大阪市立中央図書館)
お尋ねの件について、関連する記述がある資料を以下にご紹介します。
(1) 『人・おおさか・建築40年 -社団法人大阪府建築士会創立40周年記念誌-』([大阪府建築士会]創立40周年記念誌編集委員会/[編] 大阪府建築士会 1992.5)
「PRIZES コンクール受賞作品集 大阪建築コンクール」の項のp.102-129に第1回から第38回の受賞作品の白黒写真が掲載されており、p.130-140「表彰作品、審査委員等リスト」に、第1回から第38回の表彰作品、設計者名等の記載があります。
(2) 『[大阪府建築士会]20年の歩み -大阪府建築士会創立20周年記念誌-』 (大阪府建築士会/編 大阪府建築士会 1973)
p.63-82「Ⅴ.大阪府建築コンクール表彰作品集」に、第1回から第19回の受賞作品が掲載されています。
賞の名称が「大阪府建築コンクール」となっていますが、受賞作品は上記資料(1)掲載の各回受賞作品と一致しており、「大阪建築コンクール」のことと考えられます。ただし、「大阪建築コンクール」と「大阪府建築コンクール」の名称の違いに関する記述は見つかりませんでした。
(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『ひろば(1)』(大阪府建築士会 1964-05) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1767765/1/13 (2024.7.31確認)
p.1-8(コマ番号11-14)「特集/大阪府建築コンクールをめぐって」の項のp.5(コマ番号13)に、「10年の歴史をふりかえる」として、第1回から第9回の受賞作品が掲載されています。
上記資料に掲載がなかった第39回から第55回について、以下の雑誌に入賞作品発表の記事が掲載されています。
(4) HIROBA 1993年6月 / 350号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1993.6 p.56-57「第39回大阪建築コンクール表彰作品発表」
(5) HIROBA 1994年6月 / 362号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1994.6 p.48-51「第40回大阪建築コンクール発表」
(6) 『HIROBA 1995年7月 / 375号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1995.7)
p.44-47「第41回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(7) 『HIROBA 1996年7月 / 387号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1996.7)
p.76-79「第42回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(8) 『HIROBA 1997年6月 / 398号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1997.6)
p.50-54「第43回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(9) 『HIROBA 1998年6月 / 410号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1998.6)
p.38-42「第44回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(10) 『HIROBA 1999年6月 / 422号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1999.6)
p.36-39「第45回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(11) 『HIROBA 2000年6月 / 434号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2000.6)
p.36-39「第46回大阪建築コンクール入賞発表」
(12) 『HIROBA 2001年6月 / 446号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2001.06)
p.44-47「第47回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(13) 『HIROBA 2002年6月 / 458号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2002.06)
p.30-32「第48回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(14) 『HIROBA 2003年6月 / 470号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2003.06)
p.35-39「第49回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(15) 『HIROBA 2004年6月 / 482号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2004.06)
p.31-34「第50回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(16) 『HIROBA 2005年6月 / 494号』 (近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2005.06)
p.22-25「第51回大阪建築コンクール入賞作品発表」
(17) 『建築人 2006年 / 1-12号』 (大阪府建築士会 2006)
6月号 p.18-21「第52回大阪建築コンクール入賞発表」
(18) 『建築人 2007年 / 13-24号』 (大阪府建築士会 2007)
6月号 p.18-21「第53回大阪建築コンクール入賞発表」
(19) 『建築人 2008年 / 25-27;526-534号』 (大阪府建築士会 2008)
6月号 p.22-25「第54回大阪建築コンクール入賞発表」
(20) 『建築人 2009年 / 535-546号』 (大阪府建築士会 2009)
6月号 p.26-31「第55回大阪建築コンクール入賞発表」
回答プロセス:1.「大阪府建築士会ホームページ:建築士の皆様へ:大阪建築コンクール」( https://www.aba-osakafu.or.jp/architects/award67.html )に掲載されている受賞作は第56回(平成22年2010年)から第63回(平成30年2018年)までであることを確認。
2.当館所蔵検索をフリーワード“大阪府建築士会”で検索、資料(1)、(2)が見つかる。
3.社団法人大阪府建築士会「建築雑誌記事検索サービス」( http://sub.aba-osakafu.or.jp/refer/ref.html )で“大阪建築コンクール”を検索、ヒットした記事を確認するが、該当の回に関する資料は見つからず。
4. 商用データベース「朝日新聞クロスサーチ」、「産経新聞データベース」、「日経テレコン」、「毎索」、「ヨミダス」、「MagazinePlus」を検索、該当の回についての資料は見つからず。
5. 「CiNii Research」をキーワード“大阪建築コンクール”で検索、該当の回に関する資料は見つからず。
6. 「国立国会図書館サーチ」をキーワード”大阪建築コンクール”で検索、資料(3)が見つかる。
7. 「Googleブックス」をキーワード“建築コンクール”ד大阪府建築士会”で検索、受賞作品についての記載見つからず。
8. 大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )を建築コンクール”で検索、該当の回についての資料は見つからず。
9.当館所蔵検索をフリーワード“大阪府建築士会”で検索。ヒットした雑誌『建築人』(大阪府建築士会)を確認。資料(17)~(20)が見つかる。
10.『建築人』の2006年1月号(創刊号)冒頭に、機関紙『HIROBA』の廃刊を受けて創刊した旨の記述が見つかる。雑誌『HIROBA』(近畿建築士会協議会)を確認。資料(4)~(16)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 人・おおさか・建築40年 -社団法人大阪府建築士会創立40周年記念誌- [大阪府建築士会]創立40周年記念誌編集委員会/[編] 大阪府建築士会 1992.5 資料(1),
参考資料:当館書誌ID [大阪府建築士会]20年の歩み -大阪府建築士会創立20周年記念誌- 大阪府建築士会/編 大阪府建築士会 1973 資料(2),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1993年6月 / 350号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1993.6 資料(4),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1994年6月 / 362号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1994.6 資料(5),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1995年7月 / 375号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1995.7 資料(6),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1996年7月 / 387号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1996.7 資料(7),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1997年6月 / 398号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1997.6 資料(8),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1998年6月 / 410号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1998.6 資料(9),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 1999年6月 / 422号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 1999.6 資料(10),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2000年6月 / 434号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2000.6 資料(11),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2001年6月 / 446号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2001.06 資料(12),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2002年6月 / 458号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2002.06 資料(13),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2003年6月 / 470号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2003.06 資料(14),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2004年6月 / 482号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2004.06 資料(15),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] HIROBA 2005年6月 / 494号 近畿建築士会協議会編集委員会/編集 近畿建築士会協議会 2005.06 資料(16),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] 建築人 2006年 / 1-12号 大阪府建築士会 2006.00 資料(17),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] 建築人 2007年 / 13-24号 大阪府建築士会 2007.00 資料(18),
参考資料:当館書誌ID [製本] 建築人 2008年 / 25-27;526-534号 大阪府建築士会 2008.00 資料(19),
参考資料:当館書誌ID [製本] 建築人 2009年 / 535-546号 大阪府建築士会 2009.00 資料(20),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『ひろば(1)』(大阪府建築士会 1964-05) https://dl.ndl.go.jp/pid/1767765/1/11 (2024.7.31確認) 資料(3),
(2024/11/18 00:30)
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大阪市電の「花電車」の運行について知りたい。三宝の駅から浪速区まで走っていたらしい。(大阪市立中央図書館)
花電車が確かに三宝から浪速区までを走っていたことを明示する資料は見つかりませんでしたが、三宝駅付近で撮影された花電車の写真が掲載された資料(1)は見つかりました。
また、花電車ではありませんが、当時の路線として、路面電車が浪速区芦原橋と三宝車庫前をむすぶ経路を走っていたことが資料(2)によりわかりました。
(1) 『なにわの市電(トンボブックス)』(小林 庄三/著 トンボ出版 2013.2)
「大阪市電アラカルト」のp.78-85に「2.戦後の花(装飾)電車」の項があり、昭和20年代から30年代の花電車の写真が掲載されています。そのうち、p.82上段に「大阪祭花電車. 堺市三宝付近にて. 昭.34.10.5」と題した写真が掲載されています。
(2) 『大阪市交通局百年史 本編』(大阪市交通局/編集 大阪市交通局 2005.4)
「第2章 路面電車 第1節 路面電車事業の変遷 1.昭和前期までのあゆみ」
p.137-138「(5) 阪堺線統合と路線再編成」の項のp.137に昭和20年の空襲による被害についての記述があり、「車庫は、7か所のうち全焼を免れたのは三宝車庫だけで」とあります。
p.138の「表2-1-6 阪堺線(三宝線)開業状況」に「起点:芦原橋」「経過地:三宝車庫前」「終点:湊ノ浜」「開業:昭19.4.1」等の記述があります。
「同章 同節 2.戦後のあゆみ」のp.139-143「(1)戦災復興と新線建設」の項のp.141「図2-1-2 市電路線別開通図」に昭和19年4月1日開通路線の駅として「三宝車庫」等が確認できます。
p.146-149「(3)65年の歴史を閉じる」の項のp.148「表2-1-15 路線廃止状況」に、「廃止:[昭]43.10.1」「起点:芦原橋」「経過地:三宝車庫前」「終点:出島」等の記載があり、「戦後(昭20~25)の廃止路線」として出島の先に「昭20.3.13 湊ノ浜」が記載されています。
p.149の「図2-1-3 市電路線別廃止図」に昭和43年10月1日廃止路線の駅として「三宝車庫」等が確認できます。
「同章 第2節 運輸と設備 2.設備」のp.165-167「(3)車庫と車両工場」の項のp.165「表2-2-10 市電車庫の変遷」に「車庫名:三宝」「竣工・開設:[昭]19.4.1」「廃止:[昭]43.10.1」等の記述があります。
以下、大阪市電の花電車に関連する資料です。
(3) 『大阪市電 -路面電車66年の記録-』(大阪市電編集委員会/編 鉄道史資料保存会 1980.9)
「Ⅰ.歴史編」のp.44-53「花電車」の項に、明治38年5月から昭和44年3月までの花電車の運行についての解説、及び、運行日順に祝典・祭事名を添えた写真が掲載されています。
(4) 『大阪市交通局七十五年史』(大阪市交通局/[編] 大阪市交通局 1980)
「本編 第2章 路面電車 第3節 設備 3 車両」のp.120に「(4)花電車」の項があり、「国家的な慶祝行事、そのほか大阪市の記念行事の都度奉祝または記念として、アトラクション用の花電車が戦前、戦後を通じて何回となく運行された。」とあります。p.121に「表2-3-14 花電車運行記録表」があり、明治38年5月から昭和44年3月までの運行について記載されています。
(5) 『市電 -市民とともに65年-』(大阪市交通局総務部総務課/編集 大阪市交通局 1969)
「試練に立つ」のp.46「花電車」の項に、花電車に関する記載があり、作家・田辺聖子の文章が掲載されています。p.47-48「花電車のいろいろ」の項に、花電車の写真が複数掲載されています。
(6) 国立国会図書館デジタルコレクション『マツダ新報 4(6)』(東京芝浦電気 1917-06) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1582945/1/17 (2024.9.14確認)
p.29(コマ番号17)「十四 大阪市電祝賀花電車」の項に、大阪市電の第三期線完成の際の祝賀の花電車について記述があり、費用や乗務員の服装、花電車の装飾、電球の数などが紹介されています。
(7) 大阪市立図書館デジタルアーカイブ
簡易検索画面にて「花電車」で検索すると、絵葉書が複数閲覧できます。
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/ (2024.9.11確認)
回答プロセス:1.当館所蔵検索をフリーワード“大阪市電+大阪市交通局”で検索、資料(1)-(5)が見つかる。
2.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)で“大阪市電”と検索、有用情報なし。
3.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )を“花電車+三宝”で検索、有用情報なし。
4.「国立国会図書館デジタルコレクション」を“大阪”ד花電車”で検索、資料(6)が見つかる。
5.「Googleブックス」で“花電車”ד三宝”で検索。有用情報なし。
6.「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」を“花電車”で検索。(資料(7))
参考資料:当館書誌ID 大阪市電 -路面電車66年の記録- 大阪市電編集委員会/編 鉄道史資料保存会 1980.9 4-88540-029-5 資料(3),
参考資料:当館書誌ID なにわの市電(トンボブックス) 小林 庄三/著 トンボ出版 2013.2 978-4-88716-204-4 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪市交通局七十五年史 大阪市交通局/[編] 大阪市交通局 1980 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 市電 -市民とともに65年- 大阪市交通局総務部総務課/編集 大阪市交通局 1969 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 大阪市交通局百年史 本編 大阪市交通局/編集 大阪市交通局 2005.4 9784990172411 資料(2),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/ (2024.9.11確認) 資料(7),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『マツダ新報 4(6)』 東京芝浦電気 1917-06 (国立国会図書館内/図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/1582945/1/17 (2024.9.14確認) 資料(6),
(2024/11/18 00:30)
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扇町(おうぎまち)公園の沿革について知りたい(大阪市立中央図書館)
扇町公園は大阪市北区扇町にある都市公園です。
以下の資料に扇町公園の沿革について記述が見つかりました。
1.扇町公園が設置された場所について
(1)『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂 1986.7)
p.69に「同公園を含む一帯約六万坪の広大な地域は、「大阪監獄」の置かれた場所である。同監獄は明治15(1882)年「堀川監獄」分署として開かれ」とあります。
(2) 国立国会図書館デジタルコレクション「てんま-界隈-」(宮本 又次/著 大阪天満宮, 1977) (国立国会図書館/図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573986 (2024.2.18確認)
p.118(コマ番号79)に「堀川監獄といったのは天満堀川に沿っていたため」とあります。
(3)国立国会図書館デジタルコレクション「大阪府全志 巻之5」(井上 正雄/著 清文堂 1985) (国立国会図書館/一般公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/965802 (2024.2.18確認)
p.293(コマ番号170)に、堀川監獄分署には明治18(1885)年に松屋町分署が、次いで20(1887)年に中之島監獄が、21(1888)年には若松町監獄が合併し、23(1890)年に大阪府監獄署と改称されたことが書かれています。
(4) 国立国会図書館デジタルコレクション「北区史」(大阪都市協会/編集 北区制一〇〇周年記念事業実行委員会 1980.4) (国立国会図書館/図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9574572 (2024.2.18確認)
p.142(コマ番号93)に「日露戦争のころ、この付近は、職員の官舎があったほかは一面の桑畑で、明治の末まで、この場所から大阪駅の時計塔が見え、淀川区の三津屋(みつや)を望むことができた」「大正9(1920)年6月堺市に移転、跡地は大阪市に払い下げとなった」とあります。
2.扇町公園の設置から戦後の復興までについて
(5)『大阪春秋95号 おおさかの公園』(大阪春秋社 1999)
p.15-16に「1920年代から30年代にかけた「大大阪」成立の過程は同時に都市政策としての大阪の公園の「理論と実際」が飛躍的に前進した時期でもあった」「そんな中で、天王寺公園以来の大公園である扇町・桜の両公園と(略)が着工ないし公開された1923(大正12)年は、同時に大阪で科学的かつ実証的な公園論が官民あげて展開され始めた年でもあった」とあります。
(6)『消えたわが母校 続』(赤塚 康雄/著 柘植書房新社 2000.8)
p.37に「あたらしくできた扇町公園では、とんぼつりやたこあげを楽しむ子どもも多かった。大阪プールはまだなかったので野球もできた」とあります。
(7)『O-WAVE 43号』([大阪建設業協会]広報専門委員会/企画・編集 大阪建設業協会 2001)
p.14-15に「誕生から間もなく軍事施設として利用された時期もあったが、戦後すぐに復興計画が立てられた」「当時の計画では、東は環状線の線路際まで、西は新御堂筋にいたるまでの約30ヘクタールに及ぶ壮大なものでした。」「「大阪プール」の名で親しまれたプールは、昭和25(1950)年「日米国際選手権水泳大会」に向けて造られたもの」「ギリギリの予算の中、わずか5カ月というスピード工事によって完成された」とあります。
上記(1)『大阪史蹟辞典』
p.69に「有名になったのはナイター照明つきの50メートルプール、収容能力22,000人という大阪プールが作られてから」「フジヤマノトビウオと呼ばれた古橋(ふるはし)が次々に世界記録を樹立、敗戦日本の意気を大いに挙げたのもここ」とあります。
(8)『大阪発・公園SOS』(都市と公園ネットワーク/編 都市文化社 1994.7)
p.58に「東西冷戦体制の強化に始まるその後の社会情勢の変化によって、(当初の)計画は徐々に縮小され結局実現しなかった。」とあります。
上記(4)「北区史」
p.495-466(コマ番号255-256)に「その他の施設としては25メートルの児童プール2つ、幼児用の円形プール1つ、6千平方メートルの自由広場、テニスコート1面、卓球場10台、砂場、すべり台、ラダーなどがある。」「運動公園としての性格が顕著」とあります。
3. リニューアルについて
上記(5)『大阪春秋95号 おおさかの公園』
p.88に「この大阪プールも、1997年(平成9年)の「なみはや国体」に向けて(港区)八幡屋(やはたや)公園に移転」とあります。
上記(7)『O-WAVE 43号』
p.15に「平成8(1996)年から大幅なリニューアル計画がスタート」「子供たちが楽しめる遊具を備えた公園にお色直し。」「東西に横切る遊歩道や扇町通りへつながる通路が設けられ(略)生活道路としても利用され」「温水プールと野外プール、インドアスポーツが楽しめる複合施設もお目見え」とあります。
回答プロセス:1.当館郷土資料コーナーを確認。資料(1)(2)(3)(6)が見つかる。
2.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」(https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html)をキーワード“扇町公園”で検索。資料(5)(7)が見つかる。
3.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)でキーワード“監獄”で検索。資料(4)が見つかる。
4.当館郷土資料コーナーにて、「公園」に関する資料を確認。資料(8)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 大阪史蹟辞典 三善 貞司/編 清文堂 1986.7 9784792423414 資料(1),
参考資料:当館書誌ID てんま -界隈-(風土記大阪 第3集) 宮本 又次/著 大阪天満宮 1977 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 北区史 大阪都市協会/編集 北区制一〇〇周年記念事業実行委員会 1980.4 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 大阪府全志 巻之5 井上 正雄/著 清文堂 1985 9784792402747 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻95号 おおさかの公園 大阪春秋社 1999.6 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 消えたわが母校 -なにわの学校物語- 続 赤塚 康雄/著 柘植書房新社 2000.8 9784806804390 資料(6),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] O-WAVE ( 季刊オーウェーブ ) 1998-2001年 / 31-46号 [大阪建設業協会]広報専門委員会/企画・編集 大阪建設業協会 1998.00-2001.00 資料(7),
参考資料:当館書誌ID 大阪発・公園SOS -私たちのコモンセンス- 都市と公園ネットワーク/編 都市文化社 1994.7 9784887141605 資料(8),
(2024/11/15 00:30)
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明治時代に活躍した画家で大阪市に在籍した松井映雪(四条派)ついて作品、本名、生没年月日等を知りたい。(大阪市立中央図書館)
お尋ねの件につき、関連記述のある資料をご紹介いたします。なお、没年については、記載資料が見つかりませんでした。
(1) 『日本人物情報大系 62 書画編 2』(芳賀 登/[ほか]編集 皓星社 2001.1)
p.191-409に『帝国絵画名鑑 現代之部』(帝国絵画協会編集部 1912年)が収録されています。p.397(『帝国絵画名鑑 現代之部』のページ付はp.789)に「映雪 松井種吉」の項があり、肖像と作品の白黒写真とともに、落款、本名、生年等の記載があります。
以下の資料には、松井映雪が出品した作品名の記載があります。
(2) 国立国会図書館デジタルコレクション『第四回内国勧業博覧会出品部類目録 第2部 美術之部』(第四回内国勧業博覧会事務局 明28)(インターネット公開(保護期間満了)
https://dl.ndl.go.jp/pid/801936/1/14 (2024.1.26確認)
「大阪府 第二部 十八類」p.20(コマ番号 14)上段に「柳ニ五位鷺 同(補記:東区)南本町一丁目 松井暎雪」と記載があります。
回答プロセス:1.レファレンス室に配架されている大阪関係の人物辞典を確認。
2.国立国会図書館デジタルコレクションをキーワード“松井映雪”で検索。資料(2)が見つかる。
3.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
4.「大阪春秋総目次・索引集」( http://osaka-web-museum.na.coocan.jp/index-top-shunjyu.htm )の「人名篇」を確認。“松井映雪”の項なし。
5.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
6.「Googleブックス」を“松井映雪”で検索。資料(1)が見つかる。
7.商用データベース「JapanKnowledge」を見出し・全文それぞれで“松井映雪”で検索。ヒットせず。
8.商用データベース「朝日新聞クロスサーチ」の「人物データベース」を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
9.商用データベース「日外レファレンス・コレクション(人物レファレンス事典plus)」を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
10.「ジャパンサーチ」を“松井映雪”で検索。ヒットせず。
参考資料:当館書誌ID 日本人物情報大系 62 書画編 2 芳賀 登/[ほか]編集 皓星社 2001.1 資料(1),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『第四回内国勧業博覧会出品部類目録 第2部 美術之部』(第四回内国勧業博覧会事務局 明28)(インターネット公開(保護期間満了) https://dl.ndl.go.jp/pid/801936/1/14 (2024.11.5確認) 資料(2),
(2024/11/12 00:30)
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中央公会堂(中之島)の建築史や建築思想が分かる資料を探している。(大阪市立中央図書館)
関連する記述のある資料を以下にご紹介します。
1.竣工から平成期の保存・再生工事までまとまった記述のある資料
(1) 『重要文化財大阪市中央公会堂保存・再生工事報告書』(大阪市教育委員会/編集 大阪市 2003.3)
中央公会堂についての資料です。「第2章 大阪市中央公会堂の建築と改修履歴」や「第3章 保存・再生工事の計画」等の章があり、それぞれ詳細な記述があります。「史料」として「設計競技に関する史料」や「創建当初の公会堂に関する史料」等も掲載されています。
2.主に竣工時の建築について記述のある資料
(2) 大阪大学学術情報庫:山形政昭「大阪市立中央公会堂の建築様式と意匠について」『デザイン理論 』42号(意匠学会 2003.05)p.116-117
https://doi.org/10.18910/53125 (2024.9.2確認)
(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『芸術 : 大阪芸術大学紀要 (22)』(大阪芸術大学芸術研究所運営委員会 編 大阪芸術大学 1999-11)(図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/7953749/1/85 (2024.9.2確認)
p.165-174(コマ番号85-90) 山形政昭「大阪市中央公会堂の建築」
(4) 『大阪市中央公会堂50年誌』(大阪市教育委員会 大阪市教育委員会 1968)
「1 中央公会堂50年のあゆみ」にp.13「2 旧公会堂と公園の拡張」、p.14-19「3 公会堂建設経過」、p.20-26「4 落成当時の公会堂とその後の改装」の項目があります。
(5) 『中央公会堂四十年誌』(大阪市中央公会堂/編 大阪市中央公会堂 1958.11)
「中央公会堂四十年の歩み」にp.2-9「一 公会堂建設経過と落成当時の思い出」、p.9-18「二 創立当時の規模とその後の改装」の項目があります。
(6) 『“義侠の相場師"岩本栄之助伝 -百寿を迎えた「大阪市中央公会堂」-』(大山 勝男/著 ゴマブックス(発売) 2018.3)
p.6-10に「公会堂落成」、p.10-17に「大阪市永久保存を決定」の項目があります。
3.主に平成期の保存・再生工事について記述のある資料
(7) 『建築と社会』2002年12月・ 83巻12号 969号(日本建築協会/[編] 日本建築協会 2002.12)
p.47-75に「大阪市中央公会堂の保存・再生」という特集があり、複数の関連記事が掲載されています。
(8) 『OSAKA-JIN ( 大阪人 ) 2002年』(大阪都市協会/[編] 大阪都市協会 2002)
2002年の1-12月号を合冊した資料です。
12月号が中央公会堂の特集号です。p.2-31に中央公会堂を主題とする記事が掲載されています。
(9) 『建築知識』2003年4月・ 45巻4号 567号(エクスナレッジ 2003.04)
p.257-264に「リサイクル・アーキテクチュア 近代建築の保存と再生 8 大阪市中央公会堂」という記事が掲載されています。
(10) 『日経アーキテクチュア』2003年2月3日・737号』(日経BP社 2003.02)
「残る建築 (特集 岐路に立つ近代建築--保存・活用のカギを握るのは誰か)」内のp.54-57に「大阪市中央公会堂 唯一無二の市民財産に」という記事が掲載されています。
(11) 『大阪歴史博物館研究紀要 第8号』(大阪歴史博物館/編集 大阪歴史博物館 2010.3)
p.105-125「〔報告〕シンポジウム 大阪の近代建築・戦後建築の魅力をさぐる」のp.109-113に「報告2 橋本健治氏「大阪市中央公会堂の保存・活用が教えてくれること」」が掲載されています。
回答プロセス:1.当館所蔵検索をフリーワード“中央公会堂”で検索、資料(1)(4)~(6)(8)が見つかる。
2.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )をキーワード“中央公会堂”で検索。事項名“大阪市中央公会堂”で66件、“大阪市中央公会堂―保存再生工事”で18件、中央公会堂で1件ヒット。新規有用情報なし。
3.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)を“公会堂”で検索、新規有用情報なし。
4.清水建設の社史を確認、新規有用情報なし。
5.社団法人大阪府建築士会の「建築雑誌記事検索サービス」( http://sub.aba-osakafu.or.jp/refer/ref.html )をキーワード“中央公会堂”で検索、資料(9)(10)が見つかる。
6.「国立国会図書館サーチ」をキーワード“大阪”ד公会堂”で検索、資料(3)(7)が見つかる。
7.「CiNii Research」を“大阪”ד公会堂”で検索、資料(2)(11)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 重要文化財大阪市中央公会堂保存・再生工事報告書 大阪市教育委員会/編集 大阪市 2003.3 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪市中央公会堂50年誌 大阪市教育委員会 大阪市教育委員会 1968 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 中央公会堂四十年誌 大阪市中央公会堂/編 大阪市中央公会堂 1958.11 資料(5),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] OSAKA-JIN ( 大阪人 ) 2002年 大阪都市協会/[編] 大阪都市協会 2002.00 資料(8),
参考資料:当館書誌ID “義侠の相場師"岩本栄之助伝 -百寿を迎えた「大阪市中央公会堂」- 大山 勝男/著 ゴマブックス(発売) 2018.3 資料(6),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 建築知識 2003年4月 / 45巻4号 / 567号 エクスナレッジ 2003.04 資料(9),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 日経アーキテクチュア 2003年2月3日 / 737号 日経BP社 2003.02 資料(10),
参考資料:当館書誌ID 大阪歴史博物館研究紀要 第8号 大阪歴史博物館/編集 大阪歴史博物館 2010.3 資料(11),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 建築と社会 2002年12月 / 83巻12号 / 969号 日本建築協会/[編] 日本建築協会 2002.12 資料(7),
参考資料:大阪大学学術情報庫:山形政昭「大阪市立中央公会堂の建築様式と意匠について」『デザイン理論 』42号(意匠学会 2003.05)p.116-117 https://doi.org/10.18910/53125 (2024.9.2確認) 資料(2),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『芸術 : 大阪芸術大学紀要 (22)』 大阪芸術大学芸術研究所運営委員会 編 大阪芸術大学 (国立国会図書館内/図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/7953749/1/85 (2024.9.2確認) 資料(3),
(2024/11/09 00:30)
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編纂所が調査に関わったもの
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
大阪市浪速区幸町にある安政の地震津波碑の碑文全文を知りたい。(大阪市立中央図書館)
安政の地震津波とは、嘉永7年(安政元年・1854年)11月4・5日に大阪を襲った紀伊半島沖に震源をもつ推定マグニチュード8.4の大地震と、それに伴って起きた大津波のことです。
その状況を記録し、後世の人のために戒めを伝える目的で安政2年7月に、被害の甚大だった浪速区幸町五丁目大正橋の東詰に石碑が建立されました。
そこには、大地震が起きた場合には必ず津波が襲うものと心得るべきだと教訓が書かれています。
・小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号(p.91~95)
碑文の原文全文が掲載されています。
ただし、「この文章はこの石碑から直に写したものではなく、浪速区幸町三丁目居住増井健蔵氏所収の木版刷にもとづくもので、若干の異同がある。」と記述されています。
・『大正大阪風土記』訂正(大阪教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1927)
「津波の碑」の項(p.327~328)にも碑文の原文の掲載がありますが、石碑の背面と右面の碑文のみです。
また、『ヒストリア』掲載のものと、句読点やかな使いに若干の異同がありますが、こちらが石碑から直に写したものかどうかは明らかにされていません。
・浪速区役所ホームページ http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認)
「区のスポット・名所・旧跡」として「安政大津波記念」の碑が取り上げられています。
そこでは、碑に隣接して設置された記念碑に碑文の原文と共に現代語訳が記されているとした上で、現代語文を紹介しています。
2011年8月、大阪市史編纂所より、碑文に関する参考資料として以下のものが最適という情報をいただきました。
・『水都大坂を襲った津波 : 石碑は次の南海地震津波を警告している。』( 長尾 武/著・発行 改訂版 2007)
p.14~16に碑文の全文が記載されています。
参考資料:小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号 大阪歴史学会 1995.9,
参考資料:『大正大阪風土記』訂正 大阪市教育部共同研究会編 大正大阪風土記刊行会 1927,
参考資料:浪速区役所ホームページ>区内の官公署、主な施設、名所旧跡等>名所・旧跡等>区のスポット・名所・旧跡>碑>「安政大津波」の碑
http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認),
参考資料:『水都大坂を襲った津波: 石碑は次の南海地震津波を警告している。』 長尾 武著・発行 改訂版 2007.2,
寄与者:大阪市史編纂所
備考:大阪市立図書館webギャラリー「大阪の災害 ~江戸・明治期にかけて~」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme569.html (2011.3.23確認)、
小展示「幕末の大坂を襲った大地震と大津波」(平成16年12月 大阪府立中之島図書館作成)
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/63_jisin.html (2011.3.23確認)もご参照ください。
(2012/04/17 14:41)
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大阪上本町の近鉄百貨店辺りにあった「梅屋敷」についての資料はないか?(大阪市立中央図書館)
「東都亀戸の梅屋敷を模して、文化年間に造ったもの~生玉馬場の東(現在の上本町六・七丁目辺)にあり、園中に梅を植え、樹下に席を設け~秋には菊観で賑わった~。~日露開戦の一二年後には、山口銀行主の山口吉郎右衛門氏本邸となり、大正期には忘れさられてしまった。」
(「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008より)
『浪華の賑ひ』 (鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975|安政2年版の複製)26丁に”梅屋敷”についての記述がある。
その他は以下のとおり。
・『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 (船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978)p277~278
・『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 清文堂,1985|大正11年刊の復刻)p764
・『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
・『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
・徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
・『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
・『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
・『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
・『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
・『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])には「梅屋敷」の絵が収録されており、
大阪市立図書館 画像データベースで画像を提供しているほか、大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」でも同画像を紹介。
”梅屋敷”の位置と広さについては、次の資料による。
『新修大阪市史 第10巻』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市,1996.3) 歴史地図 図5 天保期の大坂三郷
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 (吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911)
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 ([吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911)
国立国会図書館ホームページの「写真の中の明治・大正 関西編」 梅屋敷には、
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、関連する近代デジタルライブラリーへのリンクあり。
大阪府立図書館に『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)が所蔵されており、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像が公開されている。
また、「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号(2008(平成20)年3月31日)本文もホームページ紀要のページで公開されている。
また、大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」では、 『浪花百景』(芳瀧画)・『浪華百景之内』(貞信(初代)画)の画像を見ることができる。
回答プロセス:『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂出版,1986.7)には記載なし。
大阪市史編纂所に助言を得る。
2010.3追加調査
1.大阪府立中之島図書館 ホームページで調査
大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.3.24確認)を調査
事項から検索 “梅屋敷”
『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
『上方』 31 p62-63 193307 新梅屋敷が中心
※『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969) 所収
『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
文献名から検索 “梅屋敷”
徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)は、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像公開を確認。
「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認)では、
名所名 梅屋敷で二つの画像を見ることができる。
2.国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認)を調査
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、代デジタルライブラリーの関連する下記タイトルへのリンクあり。
『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
貴重書画像データベースで紹介されている『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])も含め、当館所蔵あり。
3.CiNii - NII論文情報ナビゲータhttp://ci.nii.ac.jp/ (2010.3.25確認)を調査
キーワード“梅屋敷”で検索。
小笠原 弘之 , 山田 瑞穂 , 佐藤 敏江 [他] 「翻刻『梅屋敷の記--一名 このはな』 翻刻『松島紀行』」 『大阪府立図書館紀要』 (37),2008/3 が見つかる。
大阪府立図書館紀要ページで本文公開を確認。
2010.10追加
『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
事前調査事項:『葎居後集 1~3巻』(黒沢翁満著 河内屋和助 安政5.6(1858))
参考資料:『浪華の賑ひ』 鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975,
参考資料:『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978 浪速叢書刊行会 1927年刊の復刻,
参考資料:『大阪府全志 巻之2』 井上 正雄/著 清文堂,1985 ISBN 4-7924-0271-9大正11年刊の復刻,
参考資料:『新修大阪市史 第10巻』 新修大阪市史編纂委員会/編集
大阪市,1996.3,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 [吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911,
参考資料:大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme829.html (2010.3.25確認),
参考資料:「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」http://rarebooks.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008(平成20)年3月31日 http://www.library.pref.osaka.jp/lib/kiyo.html (2010.3.25確認),
参考資料:『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969 ,
参考資料:徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号1980.9(p82-87) <当館書誌ID:0000253458>,
参考資料:『京阪名所案内』 白土 幸力/編輯 博盛堂,1904,
参考資料:『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟 』 大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻,
参考資料:『大阪新繁昌記』 島本 篤平/著 島本篤平,1894.10,
参考資料:『大阪案内』 日本電報通信社大阪支局,1909,
参考資料:大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認),
参考資料:『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』国書刊行会/編 国書刊行会,1985.11,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.3.24確認)
備考:大阪市立図書館Webギャラリー「大阪名所めぐり」http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/disp_themes.cgi (2011.2.4確認)もご参照ください。
2010年3月18日から4月1日まで大阪市立図書館サイトトップ( http://www.oml.city.osaka.jp/ )で、
「梅屋敷」 (『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])をご紹介しました。
「古文書や大阪関係の地図を検索する」 http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/s_all.cgi (2010.12.17確認)で、書名 図名“写真浪花百景”で検索し、17ページをご参照ください。
山口吉郎兵衛(4代)やまぐち-きちろべえ(1883-1951) 明治-昭和時代の銀行家。
明治31年大阪第百四十八国立銀行を山口銀行(三和銀行の前身)に改組し,社長となる。陶磁器の収集家,茶道家としても知られる。大阪出身。号は滴翠。(『日本人名大辞典』(平凡社)山口吉郎兵衛(4代)の項目より抜粋)
(2011/04/23 16:54)
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石川静水という人物について知りたい。大阪で化粧業界紙の発行をしていた人らしい。(大阪市立中央図書館)
石川静水は、石川清三郎のこと。大阪化粧品商報主筆。
雑誌『あまカラ 33号』(甘辛社,1954.5)「哥沢初稽古」(p.38)に、石川静水について記述がある。
それによると、金物問屋に生まれ、隣家の南木芳太郎(なんきよしたろう:明治15(1882)年-昭和20(1945)年 昭和期の郷土史家。上方郷土研究会を創立し、大阪の近世・近代史を研究)と御津幼稚園からの竹馬の友であった。
また、石川静水の執筆したものとして下記を紹介。
1)『上方』101 「百人随筆集その2 芳チャンと上方」193905 (p.24-25)
南木芳太郎についての記事で、島之内の新屋敷を遊び場としていた事等が綴られている。
2)『上方』50 「新屋敷」193502 (p.35-38)
3)『上方』68 「宗右衛門町に涼みがあった時代」193608 (p.10-11、46-47)
4)『上方』81 「見世物と流行歌」193709 (p.57)
城崎文芸館(兵庫県) http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)には、静水撰の画帖「城崎八景」所蔵があり、あわせて紹介する。
回答プロセス:1.人物関連の参考図書を調査
下記に記載なし。
『大阪人物辞典』(清文堂出版,2000.11)
『『大阪春秋』総目次・索引集 創刊号~第100号』(大阪春秋社,2002.9) 人名の項目なし
『上方 郷土研究 別巻』(新和出版社,1971) 町人学者・俳句・新聞・出版の各項目 該当なし
『新修大阪市史 第10巻』(大阪市,1996.3) 索引 該当なし
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』( 日本図書センター,1989.10)
『大阪人物誌 正編 』(臨川書店,1974)、『大阪人物誌 続編』(臨川書店,1974)
『日本書画骨董大辞典 増訂版』(成文館書店,1935.8)
『日本紳士録 24版』(交詢社,1919.12)
2.大阪の化粧品業界の資料を調査
当館所蔵を、キーワード“大阪×出版×化粧品”で検索。
『日本の書店百年』 (青英舎,1991.7)の内容確認するが、記述なし。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベース http://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.5.10確認)
“石川静水”で検索。事項から検索 0件、文献名から検索すると、下記の4件の記事があり。
1)上方 101 百人随筆集その2 芳チャンと上方/石川静水 p24-25 193905
2)上方 50 新屋敷/石川静水 p35-38 193502
3)上方 68 宗右衛門町に涼みがあった時代/石川静水 p10-11、46-47 193608
4)上方 81 見世物と流行歌/石川静水 p57 193709
4.インターネットで調査
国立国会図書館 蔵書検索・申込システム http://opac.ndl.go.jp/ (2010.5.10確認)、
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2010.5.10確認)では情報なし。
Googleで、“石川静水”検索、城崎文芸館が同氏撰の画帖を所蔵していることが判明。
5.当館提供商用データベースで調査
下記全て“石川静水”が該当なし
e-レファレンス/ツール(日外 人物・出版情報)
聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
The SankeiArchives(産経新聞記事)
日経テレコン21(日経四紙記事)
毎日Newsパック(毎日新聞記事)
ヨミダス文書館(読売新聞記事)
6.大阪市史編纂所に照会
化粧品商報社の編集をしていた人物である。
肥田晧三氏の講演会(「中井浩水著作目録(二) 大阪芸能懇話会 平成16年6月27日)レジュメの中に、“静水”についての記載(雑誌『あまカラ33号』より抄出)があるとの情報を得た。
参考資料:『あまカラ 31~40号』(甘辛社,1954.3-12),
参考資料:『上方 郷土研究 10(上)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』101所収,
参考資料:『上方 郷土研究 5』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』50 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 6』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』68 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 7』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』81 所収,
照会先:城崎文芸館 http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.5.10確認)
備考:大阪市立図書館多機能OMLISでは、2011年4月より商用データベース「毎日Newsパック」に代えて「毎索」(マイサク)(毎日新聞記事)を提供。
(2011/04/08 20:23)
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明治36年(1903)、第五回内国勧業博覧会開催時に、親子丼が販売提供されていたか知りたい。(大阪市立中央図書館)
『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
あわせて下記の資料をご紹介した。
・『博覧会』(「実業世界太平洋」臨時増刊第1巻第五号)(博文館,1903)
山下雨花「余興と飲食物」の項目に下記の記述あり。(p.189 下段)
「鳥菊の鳥、~その鋤焼に親子丼の風味は、~」
・『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』(山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903)
「場内飲食店」の項目に、「鳥菊」あり。(p.29-30)建物の記述等あるが、親子丼の記述なし。
・『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』(山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.57)
・『第五回内国勧業博覧会場全図』(博文館,1903)
鶏肉料理 内本(図の中央あたりの上部)
・『第五回内国勧業博覧会案内記』(井上 熊次郎/編纂 考文社,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.83)
・『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
回答プロセス:1.商用データベース「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)」(事典・辞書等) を調査
キーワード“親子丼”で検索、4件の項目が見つかるが詳しい由来はなし。
キーワード“親子丼”で全文検索、22件の項目のうち、由来については下記の項目にあり。
『日本大百科全書』(小学館)【丼物】
「親子丼は、東京・中央区の玉秀という鳥料理屋で明治初期に創作したもの。」
2.参考図書を調査
・『明治・大正家庭史年表 : 1868→1925 』(河出書房新社,2000.3)
明治36年3月1日、大阪で初めて“親子丼”が売り出されるとあり。(p.300)
・『衣食住語源辞典』(東京堂出版,1996.9)
1903年7月26日『大阪毎週新聞』に“親子丼”の文字が見える、とあり。(p.59)
※『大阪毎週新聞』は所蔵せず。
事物起源・料理の歴史に関する図書も調査するが、関連の記述は見つからない。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2011.3.7確認)を調査
キーワード“親子丼”で検索、下記の図書が見つかった。
・『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)
「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
4.googleブックス http://books.google.com/ (2011.3.7確認)で調査
キーワード“親子丼”ד内国勧業博覧会”で検索、下記の図書が見つかった。
・『語源海』(東京書籍,2005.3)
料亭鳥菊の主人、内本松次郎の名あり。(p.171)
・『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)
鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97) ※利用者調査済
5.新聞データベースを調査
・商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
「朝日新聞縮刷版」メニューで調査
大阪朝日新聞の1903年7月26日から8月2日まで内国勧業博覧会の記事を確認してみるが、“親子丼”の記事はなし。
“鳥菊”で検索すると、明治18年(1885)6月13日大阪朝刊4頁に広告「鳥菊 近火御見舞御礼」などが見つかる。
親子丼についてはなし。
“親子”ד丼”で検索すると、明治17年(1884)の神戸元町の「江戸幸」の広告に
「親子上丼」「親子並丼」「親子中丼」の名称あり。
・商用データベース「ヨミダス歴史館」(読売新聞記事)
関連の記述見つからず。
6.大阪市史編纂所にお尋ね
“第五回内国勧業博覧会”の出店記録は資料としてあるだろうが、“親子丼”を販売していた等の記録はないと思われ、見聞記や新聞記事等に記述が見つかる可能性を示唆された。
7.第五回内国勧業博覧会関係資料を調査
回答記載の資料に関連する記述を確認。
8.国立国会図書館 近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2011.3.7確認)
第五回内国勧業博覧会関係で、当館の所蔵していないものを確認。
『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
事前調査事項:『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)に鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97)
参考資料:『博覧会』博文館,1903,
参考資料:『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場全図』博文館,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会案内記』井上 熊次郎/編纂 考文社,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認),
寄与者:大阪市史編纂所http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2011.3.7確認)
(2011/03/19 10:29)
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生島永太郎(いくしま えいたろう)について知りたい。明治の終わりから戦前ぐらいまでの大阪商人(久太郎町)。 甲南小学校の設立者の一人で、明治45年に大阪保誉院を作った人。父は生島嘉蔵(かぞう)。(大阪市立中央図書館)
生島永太郎は、明治7年11月生。生島家では、代々嘉蔵を襲名している模様。下記の資料をご紹介した。
1.『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)
「起源及沿革」ほかに記載あり。生島永太郎(嘉蔵)の表記が多数。
2.『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
3.『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3) 『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり。
4.『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
回答プロセス:1.当館所蔵を検索
“生島永太郎”では該当なし。
2.商用データベースで調査
商用データベース「ジャパンナレッジ」 該当なし
商用データベース「e-レファレンス/ツール」 生島嘉蔵(いくしまかぞう)はあり。
「文政4(1821)年~明治32(1899)年7月2日 江戸時代末期・明治期の商人、貿易商。貿易業に従事、唐反物を取り扱う。【掲載事典】◎「幕末維新人名事典」
永太郎の祖父にあたるのか?
3.中之島図書館「大阪文献データベース」を調査
該当無し。
4.『新修大阪市史』索引になし。
5.大阪保誉院関連の資料を調査
『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)に記載あり。
『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
6.甲南学園関係資料を調査
『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p4)。
『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p18)
7.大阪関係の人物事典を調査
『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2
大阪市商工業者資産録(商業興信所編 1902(明治35)年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月生まれとあり。職業欄は空欄。
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 明治43年刊)の復刻)に、生島嘉蔵あり。住所と所得税・電話の掲載(p20)
『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
『大阪人物辞典』 (三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11)
生島嘉蔵 文政4(1821)年 (p62) 「幕末維新人名事典」掲載と同人物
『日本人物情報大系 32 企業家編 2』(皓星社,2000.3)
生島嘉蔵のみ。
下記には記載無し。
『明治大正昭和大阪人名録 中巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 大正14年刊)の復刻
『明治大正昭和大阪人名録 下巻』(日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 昭和11年刊の復刻)
『大阪新人大観』(升谷 天惠/著 大阪新人大観編纂局,1925)
『大阪新人物誌』(夕刊大阪新聞社,1934.6)
『大阪の公人 : 付・連合区制の小史』 (山本 桃洲/著 大阪の公人刊行事務所,1916.4)
8.近代デジタルライブラリーで調査
『明治富豪譚』(大阪毎日新聞社 明治25.9)「生島嘉蔵乗車賃を二銭に限る」
『当世名士譚』(米倉領次郎,明25.10)「生島嘉蔵の質朴」
年代からして、永太郎の父のことか。
9.大阪市史編纂所におたずね
有用な情報なしとのこと。
参考資料:『社団法人大阪保誉院記念帳』大阪保誉院清算事務所,1935.7,
参考資料:『大阪府社会事業史』大阪社会福祉協議会,1958,
参考資料:『甲南学園50年史』 甲南学園50年史出版委員会/編 甲南学園,1971.3,
参考資料:『甲南学園の70年』 甲南学園史資料室委員会/編集 甲南学園,1992,
参考資料:『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2 ISBN 4-8205-5416-6,
参考資料:『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 日本図書センター,1989.10 ISBN 4-8205-2058-X,
参考資料:『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5 「大阪現代人名辞書 1」文明社/編纂 復刻 初版:文明社 大正2年刊 ISBN 4-8205-9966-6 ,
参考資料:『大阪人物辞典』 三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11 ISBN 4-7924-0499-1,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.1.23確認)
備考:商用データベース「e-レファレンス/ツール」は、2010年6月から「e-レファレンス・ライブラリー」(日外 人物・出版情報) に変更。
(2010/12/13 19:38)
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