わが国ではじめて土器が使われたのは、今から1万年あまりもむかしのことです。その土器を縄文土器とよんでいます。このころ気候が温暖化して海面が上昇し、6000~7000年前には、左の図のように生駒山のふもとまで海になりました。そこではいろいろな魚にまじって、クジラも泳いでいました。
人びとは、木の実やけもののほかに海にすむ魚や貝も食べるようになりました。そのようすを私たちに教えてくれたのは森の宮遺跡の貝塚です。貝塚からはクジラ、イルカ、タイ、スズキなどの骨や、けものの骨でつくった釣り針、ヤスなどがみつかっており、当時の人びとのくらしがよくわかります。
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こちら(公益財団法人大阪市博物館協会 大阪文化財研究所)もごらんください。
2400年前ごろ、中国・朝鮮半島から米作りの技術が伝わりました。しばらくすると、青銅で道具を作る技術も伝わり、人びとの生活は大きく変化しました。この時代を弥生時代といいます。
人びとの生活は豊かになりましたが、米作りのための人手や、米のたくわえがどれだけあるかで、その豊かさは大きくちがいました。そのため人びとはムラのまとまりを強くしていきましたが、一方でムラどうしの争いも激しくなりました。やがて多くの村がまとまってクニができ、さらにクニどうしがあつまって、より大きなクニができていきました。