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大阪に関するよくある質問
図書館に寄せられるよくお尋ねのある質問と回答をまとめてみました。
大阪に関するよくある質問
>> コンテンツ詳細
質問
さいの木神社の由来は
回答
『大阪史蹟辞典』*1の「さいの木神社」には、「中島水道工事の発起人の三庄屋、新家村庄屋一柳太郎兵衛(いちりゅうたろべえ)、山口村庄屋西尾六右衛門(にしおろくえもん)、大道村庄屋沢田久左衛門(さわだきゅうざえもん)の三名が、幕府の許しを得ないで工事を始めた責任をとって、延宝6(1678)年4月9日割腹自殺した場所(当時の地名西町細目木=さいのき)に、追善のため建てられた小祠がそれである。」と記されています。(現在の淀川区西中島7丁目7番街区。)
工事とは「中島(大)水道」開削を指し、同書で「中島水道」を引くと、3名の出自などが紹介されています。北中島(現在の東淀川区・淀川区・西淀川区)は、淀川・神崎川・中津川にはさまれた土地で、洪水で苦しめられ、排水路の開削は住民の悲願でした。
3名は、北中島三十八カ村のうち二十二カ村の主唱者となり、延宝元(1673)年(*2*4*5では延宝2年)強く幕府へ訴え、同4年に実情調査がありましたが、翌5年に出た結論は、「工事に関する費用はすべて百姓が負担」という条件がついた許可でした。三庄屋はせめて多少の補助でもと嘆願すると感情を害した幕府は、許可を取り消してしまい、ついに耐えられなくなった三庄屋は延宝6年3月11日、無許可のまま突貫工事に着手しました。幕府が査問にかけようとしたため、3人の庄屋は(中略)細目木付近で、江戸の方角をにらんで、責任を一身に背負い、割腹して果てた、といったいきさつでした。
『東淀川区史』*2によると、「この工事によって永く当区農民は甚大の利益を得たが、三庄屋は西村の東端細目木で延宝6年4月9日江戸をにらんで切腹自殺したと伝えられ、毎年3月11日は水道掘り休みとて各村一斉に業を休みその遺徳を偲ぶ風習が残り、また4月9日には慰霊祭が営みつづけられている。」となっています。
『西成郡史』*3には、「事既に二百数十年前の昔に属し、且記録の上にも載せたるもの聢(しか)と見当たらざれば、素より確乎たる証跡はあらざれども、専ら口碑の伝ふるところによれば大道村の澤田久左衛門・新家村の一柳太郎兵衛・山口村の西尾六右衛門の3名、即其首唱者なりしが如し。而も又其伝説の相一致せる點(てん)より考ふるも正に是事実ならんとすべし。」とあり、主唱者については伝承とされています。
『百姓普請の中島大水道』*4では自害の悲劇に追いやられた原因を7点にわたり推察し、「明確に3人も自害したとの記録は不明である。しかし今なお西村、山口村(北方村)の、境界地域にあたる細目木(さいのき又は●(さん)の木)で、庄屋西尾六右衛門が江戸をにらんで割腹自殺を遂げて正楽寺(現在淀川区西中島8丁目)に葬られ、同夫人はこの霊を弔うために髪を下ろし、尼となって同寺に入ったとも地元では伝えられている。」と自害は3人でなかった可能性に触れています。
主唱者の氏名や自害日が、文献により異なることについては、『大阪の歴史22』*5がまとめており、偽名説も提示しています。 異説はあるものの、三庄屋の名はさいの木神社の碑文などに刻まれ、今に語り継がれています。
※「●」は木へんに賛。
参考文献
*1 『大阪史蹟辞典』 三善貞司編 清文堂 1986 書誌ID 0000214926 p.206,470-471
*2 『東淀川区史-復刻版-』 東淀川区史編集委員会編 市民日報社1987 書誌ID 0010814912 p.59-61
*3 『西成郡史』(大正4年刊の復刻)西成郡役所編 名著出版 1972 書誌ID 0000246505 p.643
*4 『百姓普請の中島大水道』大阪市東淀川農業協同組合二十五周年記念事業誌委員会編 大阪市東淀川農業協同組合1974 書誌ID 0000382251 p.6-7,25-26,147-149
*5 『大阪の歴史22』大阪史料調査会 1987 書誌ID 5100000986 p.67-85
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