【住之江】「中甚兵衛資料コーナー」開設
大阪市と堺市の間に流れる大和川は住之江区に住む人々にとってひときわ身近な川です。
しかし、大和川は昔からこの場所を流れていた訳ではありません。江戸時代のある時期まで、生駒山系と葛城山系を抜けて大阪平野に出たこの川は、現在の東大阪市や大東市のある方へ幾筋も分流を作って流れ、最後には淀川(大川)へ注ぎ込んでいました。流域ではこれらの川による水害が頻発し、その対策のために大和川の流路を大幅に変更する工事が行われました。その結果、現在の大和川の姿が出来上がったのです。
これがいわゆる大和川の付替といわれるものですが、この工事で重要な役割を担った人物に中甚兵衛(なか・じんべえ)がいました。甚兵衛は水害に悩まされていた今米村(いまごめむら。現:東大阪市)の庄屋の家に生まれた農民で、江戸幕府に対して大和川の付替を嘆願し、後に付替工事が始まった際には、農民ながら工事を主導しました。
この中甚兵衛から数えて十代目にあたる子孫が中好幸(九兵衛(くへえ))氏です。好幸氏は父の逝去をきっかけに、自宅に残されていた中家の史料研究を始めます。
研究の動機になったのは、大和川の付替以来、長い時間をかけ出来上がっていた通説が、自宅に伝わっていた先祖代々の史料の内容と合わないという疑問でした。
好幸氏は独学で研究を重ね、その成果はやがて新人物往来社の「郷土史研究賞」の受賞に結びつきます。
自宅に伝わっていた資料のほか、多岐にわたって収集された資料の数々を大阪市立図書館にご恵贈いただき、このコーナーを設置することができました。氏の著書や論文掲載雑誌、研究に使用していた様々な資料等を閲覧していただけます。大和川付替について学ぶ際、これらの資料が一助となることを願っています。
【問い合わせ】住之江図書館 電話06-6683-2788